平和や文化の尊さ訴え、民俗資料館であすまで 「なつかしの学び舎」/住田(別写真あり)

▲ 自らの経験から平和の尊さを訴えた伊藤会長㊨=上有住

多彩な展示は、あすまで開催=同

 住田町上有住の民俗資料館で3日、上有住サン・ヨブ・トークの会(佐熊位会長)主催の「旧上有住小学校築90年記念・なつかしの学び舎~ここで、こうやって、生きてきた」が開幕した。初日は県原爆被害者団体協議会の伊藤宣夫会長(89)が講話を行い、原爆投下当日に広島にいた経験を語りながら平和の尊さを強調。同館では5日(日)まで、多彩な発表や展示を計画している。
 民俗資料館の建物は、昭和2年に旧上有住小学校として建てられた。昭和60年に現在地に移築・修復して以降は、気仙大工の高い建築技術を伝える資料館として再利用されている。木造2階建てで、館内は懐かしい雰囲気とぬくもりにあふれる。
 同会では「上有住の地を生きてきた真実や、人々の工夫の姿に気づき、発見し、学び合い、自らを描きだしていくきっかけとし、ちからにしていこう」と企画。同地区計画推進協議会と五葉山自然倶楽部が協賛し、町教委が後援した。
 町内外から約50人が来場。冒頭、佐熊会長は「多くの方々にご参加いただき、ありがたい」とあいさつし、感謝を込めた。
 特別講話を行った伊藤会長は遠野市在住で、妻の故・ツヱ子さんが上有住出身。伊藤会長は昭和20年2月、17歳で陸軍船舶特攻隊を志願し、原爆が投下された同年8月6日は、船舶司令部の一員として広島市の宇品港にいた。
 爆風が押し寄せる寸前に防空壕に飛び込んで命をつなぎ、8月中は全身が焼けただれた被爆者の看護や火葬などに追われた。当時の経験を赤裸々に語り「生きていた人間が焼かれていった地獄。戦争はどんなことがあっても、絶対にしてはいけない。平和や命を大事にして、孫や息子に語り継いでほしい」と、力を込めた。
 引き続き、地域住民が昭和期の文化や、北海道斜里町で農業開拓の礎を築いた上有住出身の鈴木養太について紹介。来訪者は終始熱心な表情で耳を傾けていた。
 4日午後1時30分~3時には、上有住出身で「情熱の歌人」とされる佐藤霊峰の「生誕プレ100年」にちなんだ企画を開催。引き続き、ギター二重奏も行われる。
 さらに、「人びとの息づかい」と題して、手芸、木工、手づくり品、昭和期の日常品を展示。本紙「けせんの詩」で昨年10月~今年9月に掲載された中から住田で撮影した写真32点も並べ、四季折々の情景などを発信している。
 展示時間は午前9時~午後4時。期間中は同館特別企画展も併催。問い合わせはサン・ヨブ・トークの会実行委員の千葉修悦さん(℡080・6019・3328)へ。