「省力化」の足跡明らかに、栗木鉄山跡の内容調査で第一高炉などの構造確認/住田町

▲ 内容確認調査を通じて第一高炉などの構造を把握=住田町

 住田町教育委員会による栗木鉄山跡の内容確認調査は9~10月の2カ月間にわたり、現地で行われた。歴史的意義の明確化につなげようと第一高炉や本社事務所跡を調べ、発掘や表土を除去するなどして構造に迫った。高炉は世界遺産登録された橋野高炉(釜石市)に比べると、省力化が図られていたことが明らかに。町教委では今後も調査を重ねて「町民の共有財産」としての整備を目指すほか、国指定文化財申請も見据えている。

 

 栗木鉄山は、明治14年~大正9年に種山ヶ原に近い世田米子飼沢地内で稼働していた製鉄所。国道397号栗木トンネルの種山側に位置し、付近には大股川が流れる。
 鉄をつくる高炉が2カ所にあり、日用品をつくる鋳物工場、職員住宅、郵便局、購買所に加え、学校もあったとされる。鉄鉱石は、種山の奥州市側に位置する人首(ひとかべ)から採掘した。
 最盛期には銑鉄生産量が国内第4位で、従業員は500人超。第1次世界大戦による銑鉄取引の高騰を受け、大正7年に生産ピークを迎え、従業員も居住する〝製鉄村〟が形成されていた。大戦後は不況に入り、同9年には廃業となった。
 跡地は、沢沿いに幅50~70㍍、長さ500㍍と細長い形で残る。高炉や熱風炉、原料を搬送する鉄索(モノレール)の土台跡などの遺構があり、石垣や水路の保存状況も良好に推移してきた。
 平成9年に産業の歴史を伝える貴重な製鉄遺跡として町指定史跡に、11年には県史跡に指定された。町教委は33年度までに、国に文化財指定申請を行う考えを示す。住民をはじめ、多くの人々に学びの場を提供できる環境整備推進も見据える。
 今回の内容確認調査は、史跡全体の範囲や各施設所在地の確定、現状把握が主な目的。9月から7人体制で行い▽第一高炉の地下構造を確認する▽本社事務所の範囲を確認する──などに向け、発掘が進められた。
 調査の結果、第一高炉部分は旧河道の川床にある石の隙間に小さな石を詰めて整地。そこに砂礫を固めて基盤をつくり、れんがを直径3・5㍍の円形状に配置した。その上部に耐火れんがを内径1・5㍍ほどの大きさで積み上げていったと推察される。
 残っている資料によると、炉の高さは9㍍。約6㍍の高さにある作業場から桟橋を渡し、燃料や原料を投入していたとされる。
 また、本社事務所跡は表土を除去するとすぐに礎石が確認でき、庭石なども配置されていることが明らかになった。事務所で使われていたと思われるインク瓶や鉄鉱石の破片、ガラス瓶、陶磁器なども見つかった。
 こうした内容から、炉に関しては「橋野高炉に比べると、かなりの省力化が図られている」と分析。事務所の構造も、釜石鉱山事務所に比べるとかなり質素な印象を与え、企業として事業全体の省力化を進めていた向きがあるという。
 現地活動に携わった栗木鉄山調査指導委員会の佐々木清文氏(65)は「今回の調査の目的はほぼ達成されたと言える。栗木全体として、製鉄から加工までの流れがどのようになっていたかを把握するための第一歩。今後関心が高まっていけば」と期待を込める。
 今月以降は、調査で発見された遺物などの分析を進める。本年度の成果をふまえて30、31年度も現地調査を行い、保存管理計画や利活用に向けた整備につなげる。