明治期の建築様式残す旧上有住小学校舎、国登録有形文化財に/住田町

▲ 現在は町民俗資料館として活用されている旧上有住小校舎=住田町

 文部科学大臣の諮問機関である文化審議会は17日、住田町の旧上有住小学校校舎を国の登録有形文化財(建造物)にするよう答申した。現在は町民俗資料館として保存活用され、明治末期の建築様式が取り入れられた古き学びやの面影を残す。町内での登録は、旧菅野家住宅及び土蔵群計6棟(現・まち家世田米駅)に続き2件目。町内には、このほかにも古き良きたたずまいを残す建物が多くあり、町は先人から受け継いだ景観を生かしたまちづくりに意欲を見せる。

 

現在の民俗資料館
歴史的価値の高まり期待
築90年を前に〝朗報〟

 

 文化財登録制度は、近年の国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化など、社会的評価を受ける間もなく消滅の危機にさらされている多種多様な文化財建造物を継承しようと、平成8年から始まった。累計では全国で1万1000件を超える。
 新たに国登録有形文化財となる見込みとなったのは、現在は民俗資料館として活用されている木造2階建ての1棟。町教委は6月、文化庁に申請していた。
 明治末期の建築様式を残す左右対称のモダンさが特徴的な建物は、旧上有住小学校として昭和3年に建てられた。
 町教委によると、当時、東側に明治41年建築の校舎があったことから、学校全体を明治末期の様式をモデルとする形で整備が進められた。
 昭和初期は、世界恐慌などで危機的な経済状況にあり、加えて冷害による大凶作が住民生活を圧迫。当時の上有住村は厳しい財政下で、欠食児童も増加傾向にあったとされる。
 住民は苦境下でも、校舎建築に地域経済生活の復興や郷土教育振興への情熱を込めた。材料は村有林から調達し、建築は地元の大工が担当。柱にはヒノキ材、階段にはケヤキ材が用いられた。
 屋根構造は「洋風小屋組」。梁と木材を交差させた「合掌(がっしょう)」を三角形状に組む工法で、比較的細い材料でも大きく梁間を飛ばせる利点がある。気仙大工が明治以降、出稼ぎ先で各地の学校建築を手がけ、この技術を習得したとされる。
 校舎は長年にわたり地域の教育文化拠点として愛されてきたが、老朽化に伴い昭和59年に学校機能を新校舎に引き継いだ。しかし、当時から「文化財級」との評価が内外から寄せられ、解体は一部にとどめ、今は民俗資料館として利用されている。
 町内では昨年、世田米商店街沿いに構える旧菅野家住宅及び土蔵群計6棟が今回の旧上有住小校舎と同様に答申を受け、今年登録を果たした。
 町は、町内に残る歴史的な建造物に対する関心向上や、古き良きたたずまいを生かした交流人口拡大などを見据える。神田謙一町長は「旧上有住小学校の校舎は、歴史的な価値があり、先人たちが誇りを持ち続けてきた建物。町内には古き良き建物がこのほかにもあり、価値を引き出す取り組みを進めたい」と話している。