新「たかたのゆめ」物語、〝ほんとうのブランド〟へ―①―
平成29年11月28日付 1面

陸前高田市がブランド米化を進め、本格生産開始から5年目を迎えた「たかたのゆめ」。同市の生産者らで構成される「たかたのゆめ」ブランド化研究会(佐藤信一会長)を中心に認知向上と生産量拡大を目指す。平成23年11月、JT(日本たばこ産業㈱)植物イノベーションセンターに眠っていた品種「いわた13号」が取り出され、もみ約3㌔が復興支援のため同市へ提供されたことから始まった「たかたのゆめ」の物語。優れたブランド米が各地でも次々と誕生する中、〝被災地だから応援される米〟ではなく、名も実もあるブランドとしての成長、商品力の確立が求められている。(鈴木英里)
復興支援米からの脱却目指す
静岡県磐田市にある植物イノベーションセンターに保管されていた種もみ「いわた13号」。同センター温室で育てられ、そこからとれたもみ3㌔弱が陸前高田へと運ばれたのは、24年春のことだった。
最初に植え付けられたのは、米崎町の金野千尋さんが管理する水田のうち、わずか15㌃。田を中心に380㌶もの農地が被災した同市において、農業再生の希望…〝高田の夢〟が託されたその小さな種子は、多くの人の願いを吸って大きく膨らみ始めた。
公募によって「たかたのゆめ」と名付けられた同品種を、陸前高田市は新たな特産品、復興の起爆剤と位置づけ。25年には12農家10・5㌶の農地で本格生産が始められ、今年は農家46戸、作付面積は56㌶にまで拡大した。
26年には、認定農業者らが「たかたのゆめ」ブランド化研究会を発足。市農林課が事務局を務め、地位確立に励んでいる。同会の生産者らは米を育てるだけではなく、各種のイベントへ〝営業マン〟として出向き、消費者へ直接売り込むこともある。
その研究会が昨年から、東京都と静岡県での「視察研修」を始めた。
震災復興支援を目的に生まれたたかたのゆめは、JTと同センターをはじめ、東京に本社を置く大手企業などからも販売・PR面で多大なバックアップを受けている。これらのサポート企業の社員たちは、毎年同市で行われる「田植え式」「稲刈り式」に参加するなど、社内でがっちりした応援体制を組み、ブランドの成長を支えてきた。
研修には、こうした企業から市場の傾向を聞き取ったり、売り込み方について意見交換するとともに、消費者の評価を直に見聞することで、米作りに対する生産者のモチベーションをアップさせようという狙いがある。
東京では今回、日本屈指の総合商社・伊藤忠商事㈱と、同社グループ企業である伊藤忠食糧㈱ほか、JT本社などを訪問。このうち伊藤忠商事では、参加者8人と市農林課「たかたのゆめ」係の職員2人がPR用のはっぴを着用し、昼時に社員食堂の前で一口サイズのたかたのゆめおにぎりを配布した。
同社では25年から、同品種の新米を社食に採用。まだまだ収量が少ないため期間限定の提供ではあるが、社食の担当者が「一番おいしい炊き方」を熱心に研究し、社員からも「毎年楽しみ」という声が上がるなど好評を博す。
この日も、用意された1000個のおにぎりが1時間足らずでなくなった。約900席あるという広大な食堂では、たかたのゆめを使った定食や弁当をおいしそうに口へ運ぶ社員たちの姿を目の当たりにした。
同品種を初めて栽培した金野さん(66)は、「目の前でこの光景を見て、企業側がどれほど力を入れて支えてくれているのか実感している」と感激の表情でつぶやいた。
同社はさらに、自社ビルが立つ「青山通り」のおよそ2㌔に点在する飲食店へ企画を持ち掛け、それぞれの店で同品種を提供してもらうフェアも展開。陸前高田で毎年、少年野球大会「子どもの夢カップ」を開催するなど、たかたのゆめと離れたところでの支援も継続している。
同社社員は「これまで陸前高田を訪れた社員は約400人。その400人が皆さんの後ろについている」と激励。「今後も変わらずバックアップしていく。たかたのゆめを〝正夢〟にしましょう」──そう力強く呼びかけた。