〝縄文時代人〟に思いはせ、出土人骨の研究成果発表/大船渡市(別写真あり)

▲ 市内貝塚から出土した縄文時代人骨の研究成果を示したシンポジウム=リアスホール

 公開シンポジウム「最新研究からよみがえる縄文時代人─大船渡市野々前貝塚・長谷堂貝塚出土資料から─」は9日、大船渡市盛町のリアスホールで開かれた。5人の研究者が登壇し、東日本大震災後の復興関連発掘調査から出土した縄文時代の人骨を研究した成果を発表。参加者らは骨や歯から読み解いた縄文時代の人々の暮らし、食性、顔の特徴などに理解を深め、郷土に生きた〝縄文時代人〟に思いをはせた。10日からは末崎町の市立博物館で、関連の企画展も行われる。

 

研究者らシンポジウム
野々前・長谷堂各貝塚から

 

出土した人骨や復顔模型などの展示も=同

 震災後、市内では被災者の住宅再建などといった復興工事に伴い、遺跡がある工事予定場所で発掘調査が行われてきた。このうち、野々前(三陸町綾里)、長谷堂(猪川町)の各貝塚からは、縄文時代のものとみられる人骨(野々前4体、長谷堂1体)が見つかった。
 これら人骨は、震災前から大船渡と縁がある新潟医療福祉大学の奈良貴史教授(57)が全国の研究者ら4人とともにチームを組み、日本学術振興会科学研究補助金を活用して調査。その成果がまとまり、「地元の人々に報告したい」として奈良教授が今回のシンポジウムを主催。市教育委員会が共催した。
 市内外から約50人が参加。小松伸也教育長のあいさつに続き、奈良教授が趣旨説明と「野々前貝塚・長谷堂貝塚出土人骨」と題した発表を行った。
 この中では、〝縄文時代人研究の意義〟として日本列島の人類史を考える際に使われるキーワード「二重構造モデル」を紹介。縄文時代人と弥生時代人の顔や骨格の特徴、違いを挙げ、「縄文時代人が日本の南から北まで住んでいたが、渡来系弥生人によって混血を繰り返しながらいまの日本人が形成され、縄文時代人は北海道でアイヌの人たちになったと考えられることが多い」と語った。
 このあとは、東北大学の鈴木敏彦准教授が「野々前貝塚・長谷堂貝塚出土人骨の歯」と題し、歯から探る日本人の成り立ちなどを解説。東京大学総合研究博物館の米田穣教授は「野々前貝塚・長谷堂貝塚出土人骨の年代測定と食性分析」として、両貝塚の人骨分析で海産物由来のタンパク質が多く見つかり、魚をよく食べる特徴があったことなどを示した。
 山梨大学大学院の安達登教授は「野々前貝塚・長谷堂貝塚出土人骨のDNA分析」として、㈱A─Labの戸坂明日香氏は「縄文時代人を復顔する」と題し、それぞれ最新技術による成果を発表。会場では出土した人骨やそれを元にした縄文時代人、弥生時代人の復顔模型などが展示され、来場者の関心を集めた。
 奈良教授は「さまざまな研究成果が出ており、市の協力を受けてこうした場を設けられた。成果を多くの方々に見ていただくことができ、やって良かった」と話していた。
 10日~1月21日(日)は、市立博物館で企画展示「縄文人の骨を調べる─気仙地域からみつかった縄文時代人骨の最新研究成果─」を開催。追加資料も交え、出土品や模型、パネルなどを紹介する。