〝あたりまえ〟の外へ、視点を変え賢治作品鑑賞/陸前高田(別写真あり)

▲ 筒井さんと参加者が一緒に、社会学を通じて賢治作品を鑑賞した=米崎町

立教たかたコミュニティ大学で

 立教大学陸前高田サテライトが主催する「立教たかたコミュニティ大学」の第2弾「宮沢賢治で社会学しよう!」は16日、陸前高田市米崎町の陸前高田グローバルキャンパスで開かれた。同大職員の筒井久美子さん(立教大大学院社会学研究科博士課程後期課程満期退学)が講師となり、「社会学」とはどんな学問なのかをかみくだいて説明したうえで、その視点から宮沢賢治作品を鑑賞。賢治が社会と自分に対しどのような問題を見ていたのか、どんな思いを持って創作に取り組んでいたと想像できるかなどをひもといた。


筒井さんが「社会学」講座

 

 同サテライトおよびグローバルキャンパス開設を記念し、立教大が企画した市民向け講座の一つ。宮沢賢治の作品と生活史を通し、参加者に「社会学的なものの見方」の体験を提供する機会にと開催されたもので、会場は30人以上の市民らで満席となった。
 同大で社会学を学び、賢治が親友にあてて書いた手紙を読んだことをきっかけに賢治研究を始めたという筒井さんはまず、「社会学は『あたりまえ』に逆らい、びっくりするようなものの見方を可能にする」とし、「『あたりまえ』に囲まれた、居心地がよくなめらかな『社会』から距離を取って自由になり、離れた場所から『社会』を描写することは、社会学の一つの方法」とした。
 そのうえで、受講者と一緒に賢治作品をいくつか鑑賞。岩手山の風景を見たときに、「人はふつう、空を『地(背景)』として、岩手山を『図(主題)』として見る。けれど賢治は空のほうを『図』として見ていた」とし、人の思う〝常識〟を賢治がやすやすと飛び越えていたことを示した。
 このあと、社会学者・見田宗介氏(東京大学名誉教授)の著書『宮沢賢治──存在の祭りの中へ』をもとに、この日の主題である「賢治と社会学」について解説。
 花巻の裕福な商家に生まれた賢治がその境遇を嫌ったこと、食物連鎖に代表されるように「生」は加害と被害の連鎖で成り立っていることなどを背景に、「自分が生きていることは、いやおうなしに他者たちの死を前提としている」という矛盾を抱えていた賢治が、作品に幾度も「焼身幻想」や「自己犠牲」について描いたことを説明した。
 しかし、「賢治が本当に行こうとしたのは、そのもう一歩先の世界ではないか」と筒井さん。「私たちの世界感覚と自我は、『偏在する闇の中をゆく孤独な光』であり、『地』の部分を闇、自己を光としている。一方、賢治が獲得した世界感覚と自我は、『偏在する光の中をゆく孤独な闇』であり、『地』の部分が輝いているものだった」などと述べた。
 こうした社会学的視点を踏まえ、『春と修羅』や『農民芸術概論綱要』にある「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」という一文、『おきなぐさ』の一節などを読んだ受講者たちは、賢治の〝自我からの解放〟を読み取った。
 小友町の岸浩子さん(61)は、「こういうふうに勉強する機会は盛岡や仙台、東京に行かないとないと思っていた。学問だから難しいところもあるし、賢治作品は難解に感じる部分も多いけれど、きょうの話を聞いて賢治の見方が少し変わった。ほかの参加者の意見も聞けてよかった」と充実した表情を見せていた。