津波の脅威と教訓を後世へ、末崎町公益会が町内13カ所に到達碑建立/大船渡

▲ 町内13カ所に設置された津波到達碑=末崎町

震災翌年からの構想が形に

 

 大船渡市の末崎町公益会(上部泉理事長)はこのほど、東日本大震災津波の到達碑を町内13カ所に建立した。黒御影石に教訓などが刻まれており、大津波の脅威を後世に伝える。震災直後から構想があったものの、復興工事の進ちょくを見守りながら慎重に設置場所を選定してきたことなどから、これまで建立を見送っていた。震災から6年9カ月が経過しての設置に、同会のメンバーたちは「ようやくという思い。これを眺め、津波の教訓を改めて思い出してほしい」と願いを込める。

 同町では震災時、最大14・0㍍と推定される大津波が襲った。町内には、明治、昭和の三陸大津波到達碑が点在しているが、これを上回る高さで波が押し寄せたという。
 町民でつくる地縁団体の公益会では、震災翌年の平成24年に「大震災津波を教訓とするため、町内に津波到達碑を建立しよう」と構想。総会で事業計画も承認された。
 ところが、このころ同町内は復興工事の真っ盛り。「かさ上げなどで、まちの形が変わる可能性がある」と、設置場所を慎重に選ぶこととした。
 今年に入って復興工事が落ち着きを見せ始めてきたことから、同会では業者に依頼して11月27日から設置工事を開始。
 今月8日までに、碁石、三十刈、山根、門之浜、梅神、小河原、小細浦、中野、細浦、内田、峰岸、神坂、船河原の13カ所全てで工事を終えた。
 到達碑は、25㌢角で、高さ1・5㍍の黒御影石。津波到達地点であることや「津波は凄まじい勢いで襲い来る 振り返らずに全力逃げるべし」という教訓、設置者名、建立年月日などが刻んである。
 上部理事長(77)は「設置地点が定まらず、何年も待たせてしまったが、ようやく設置できた。本年度の総会で(会員の)みなさんに報告したい」と感慨深げ。また、「石碑は、いずれも車道の近くにあるので、通りがかって目にした際は、あの津波の脅威を思い出し、語りついでいってほしい」と、話していた。