内陸避難者 今も戻らず 、背景に宅地造成の遅れなど

▲ 内陸に避難している人たちが、植樹されたマツを守る竹すづくりに取り組んだ=陸前高田市

 まもなく東日本大震災の発生から丸7年。大津波で被災し、県内陸部や県外などへ避難している被災者の、沿岸部への帰還が難しい現状が浮き彫りとなっている。背景にあるのは、内陸自治体における暮らしの利便性の高さや、元いた地域での宅地造成の遅れなど。長い間地元を離れている人は「戻ったとしても、再びコミュニティーに溶け込めるのか」という不安、葛藤も強く感じている。インフラ整備が急がれるのはもちろんだが、内陸避難者が元いた地域とつながりを持ち続けられるような取り組みや、丁寧なケアも求められる。

 

ハード・ソフト支援ともに重要、地元との〝つながり〟も鍵に

 

 陸前高田市から県内陸部へ避難している被災者らは4日、「再生高田松原の幼い松に会いに行こう!」と題したツアーに参加し、同市へ久しぶりに帰ってきた。参加者は小友町で高田松原のマツ苗を保護する「竹す」づくりなどを体験し、懐かしいふるさとの風景復活を願った。
 ツアーは同市の一般社団法人ちーむ麻の葉(大和田加代子代表理事)が主催し、内陸避難者の居場所づくりなどを支援する盛岡市のNPO法人いなほ(佐藤昌幸代表理事)が共催。現在、奥州市や北上市などに居住する12人が参加した。
 高田町で被災し、北上市で暮らす70代の女性は、マツ苗を強い風から守る竹すづくりに挑戦しながら、「(昨春の)マツの植樹会には参加できなかったので、きょうこの日を心待ちにしていた」と語り、「少しでも〝あの風景〟を取り戻すお手伝いができると思うとうれしい」と、やみがたい郷愁をにじませた。
 内陸への避難者数は、24年3月末の6654人をピークに減少。県によると、被災した12市町村以外の自治体にある応急仮設住宅、みなし仮設住宅には、発災から7年目を迎える今も418世帯、887人(1月末時点)が暮らす。避難先で自宅を再建したり、親類宅で暮らすなどしている人も含めると、今も県内外に2000人規模の内陸避難者がいるとみられる。
 県が実施した内陸避難者アンケートによると、24年の調査開始時は「避難先の自治体に定住したい」という回答が、県外・内陸部避難者ともに3割程度だったが、27年には内陸部在住者の間で過半数を占めた。一方、「元の自治体へ戻りたい」と答えた人は2割を切るなど、調査が実施された24~27年の間にその数は減少の一途をたどった。
 定住したい理由としては、「いま住んでいる地域の利便性が高い」「すでに住宅を再建、または再建予定」という答えが5割近くあるのと同時に、「元の市町村に住宅が確保できない」「復興やまちづくりに時間がかかる」など、〝戻りたくても戻れない〟事情も浮かび上がった。
 こうした意識調査を受けて県は28年、新たに内陸部でも災害公営住宅を建設する検討を開始。盛岡、一関、北上、奥州、花巻、遠野の6市に、計303戸が整備されることになり、今月には盛岡の備後第1アパートの一部で入居が始まる。
 内陸部災害公営住宅への入居には一定の制限を設けたり、元いた町内に住宅を再建する世帯を対象とした補助制度が創設されるなど、沿岸市町村での人口減少に歯止めをかけるための取り組みも行われる。
 しかし、宅地造成などのハード整備に進展がみられてなお、内陸避難者が戻れない状況があるのは、被災者の高齢化なども要因だ。
 内陸から沿岸へのバスツアー開催や、内陸避難者同士の交流会などを企画してきた「いなほ」の佐藤代表理事(40)は、「健康状態を気にされ、病院がたくさんある自治体にとどまることを希望する方が多い。運転免許を返納している場合、バスや電車での移動が便利なことも求められる」と説明。元いた自治体へ戻っても、その環境で生活できるかどうかが不安要素になっているとみる。 
 さらに、「皆さん、『戻りたい』という気持ちはあっても、地元を離れていることに〝後ろめたさ〟を感じている」と佐藤代表。避難者同士や、内陸に居住する人と地元との結びつきを保ち続ける重要性を訴え、「ハードの整備だけでなく、ソフト面でのサポートが大切。ぜひ地元からも、『戻ってきてほしい』ということを内陸避難者の方へ発信してもらえれば」と話していた。