米崎りんごに若い情熱、陸前高田に移住し修業/神奈川出身の安生さん
平成30年3月10日付 7面

神奈川県川崎市出身で、3年前に陸前高田市に移住した安生亮太さん(22)は、特産の「米崎りんご」の栽培に挑戦している。18歳の時に難病を患い、打ちひしがれたが、陸前高田での出会いや励ましを糧にしながら、へこたれない強さを養った。昨年冬に「あんじょう農園」のリンゴを初出荷し、「はじめの一本」と命名したジュースも手がけている。「米崎りんごの味を多くの人に知ってもらえるよう頑張っていく」と決意する。
「おいしさ伝えたい」
東日本大震災が起きたのは中学3年の時。未曾有の被害を受けた東北の状況をこの目で見たいと思ったが、当時はがれき撤去をはじめとする力仕事が求められたため、現地入りは避けた。
初めて被災地を訪れたのは平成25年3月の高校2年時。JR大船渡線のBRT(バス高速輸送システム)で陸前高田市内を移動中、テレビ報道で見知った米崎町の「産直はまなす陸前高田」が目に飛び込み、何気なしに立ち寄った。
高校で農業について勉強しており、将来は地方で農家になろうと考えていた。はまなすで生産者と話す中で、同市がリンゴの特産地と知って興味が湧いた。「研修に来たら」と誘われ、2カ月後の5月に再訪。3日間リンゴ農家の手伝いをした。高校では学んだことのない果樹栽培の仕事は楽しく、「ここに住んでもいいな」と思った。
翌月、実家に戻った安生さんを病魔が襲った。「ネフローゼ症候群」という腎臓の疾患で、全身がむくみ、強い倦怠(けんたい)感を覚えた。再発しやすく、入退院を繰り返し、高校には満足に行けない。「それまで病気らしい病気はかかったことがなかった」だけに、心身ともに疲弊した。
心の支えとなったのは、はまなすで出会った生産者から送られた米崎りんごや励ましの声。気仙の人の温かさに触れ、「米崎りんご」を作る一員になろうと決意し、27年4月、陸前高田市に移り住んだ。
2年間の農業研修を経て、昨年9月、高齢の地元農家から米崎町佐野のリンゴ畑60㌃を借り、「あんじょう農園」として栽培を引き継いだ。今年からは「リンゴ栽培の師匠」と慕う千葉文洋さん(68)と、同農園とは別の約150㌃を共同管理している。
昨年冬には、独立後初めて収穫したリンゴが、移住のきっかけをつくった「はまなす」の店頭に並んだ。「初めて来た時、リンゴを買った店で自分のリンゴが売られ、うれしかった」。20㌔入りの約50箱はすぐ完売した。
「はじめの一本」と名付けたリンゴジュースは、ふじ、ジョナゴールド、王林の3種類をブレンドして爽やかな味に仕上げ、1500本(1㍑入り)を生産。昨年12月に販売を開始し、すでに1000本が売れた。
昨春病気が再発し、今も2カ月に一度通院している。不安はつきまとうが、「体への気の配り方も分かってきた。発症当初と比べると精神的に強くなった。病気に負けていられない」と明るく笑う。
2年後には自分が植えた苗木の収穫も始まる。リンゴひと筋で修業中の身だが、軌道に乗せられた暁には野菜の栽培にも挑戦しようと夢を描く。「お客さんの喜んだ顔が次の年のエネルギーになる」という千葉さんの教えを信条に掲げ、「温暖で雪も少ない気仙の気候を生かしたリンゴを多くの人に味わってもらいたい」と意気込む。