震災の惨状伝える存在に、西光寺に「弔意之碑」建立/大船渡(別写真あり)
平成30年3月13日付 6面

大船渡市大船渡町の西光寺(富澤康磨住職)に「東日本大震災津波犠牲者弔意之碑」が建立され、11日に除幕式と報告法要が執り行われた。弔意之碑は、遺族の希望で名前が刻まれた震災犠牲者51人の芳名碑、震災の概要や後世への教訓などが刻まれた趣旨碑とともに設置。参列者らは犠牲者の冥福を祈るとともに、これらの碑が長きにわたって震災の惨状を伝える存在となるよう願った。
犠牲者51人の芳名碑も
西光寺には、地域を襲った明治29年の明治三陸大津波、昭和8年の昭和三陸大津波、同35年のチリ地震津波と、3基の慰霊碑が立つ。東日本大震災では寺の檀家関係者ら67人が犠牲となり、本堂は市の遺体安置場所にもなった。
震災の碑はこれまでなく、昨年の七回忌を契機に犠牲者らへ哀悼の意をささげ、震災の教訓を後世に伝えようと、檀家や同寺の関係者らで実行委員会(富澤四郎委員長)を設立。実現に向けた取り組みを進めてきた。
この趣旨に賛同し、檀家や市内の各企業、県内外の個人らが協力。718万円(2月末現在)の寄付が集まり、これまでの津波慰霊碑に並ぶ形で建立された。
完成した弔意之碑は室根産の御影石(自然石)製で、台座を含む高さは3㍍10㌢、幅は1㍍20㌢。「東日本大震災津波犠牲者 弔意之碑」と記され、その前面には善光寺出開帳両国回向院実行委員会(長野県)から寄贈された阿弥陀如来三尊を安置した。碑の両側には、犠牲者の芳名碑と趣旨碑が設けられた。
芳名碑には、遺族から希望があった犠牲者51人の名前を刻んだ。趣旨碑には震災の概要と、後世へ伝える「一、津波が来たら、より高きところへ逃げよ」「二、逃げたら決して戻るな」「三、車を使うな、捨てて逃げよ」の教訓が記された。
除幕式と法要には、犠牲者の遺族や協力者、関係者ら約150人が出席。式では富澤委員長(81)や来賓らによる除幕に続き、遺族代表による献花、犠牲者らの遺品収納、読経が行われ、参加者らは出来上がったばかりの碑に手を合わせた。
本堂での法要では、協力者らへの感謝状贈呈に続き、富澤委員長が「この碑が未来永劫(えいごう)、後世の方々に震災を語り継ぎ、追悼の場となるよう願う」とあいさつ。来賓の戸田公明市長、遺族代表の金子正勝さん(43)=同町=もあいさつし、金子さんは津波で亡くなった祖母・コハギさん(享年99)との思い出を振り返り、碑の建立に感謝の思いを表した。
最後に富澤住職(70)が参加者らを前に、「いつまでも忘れることができない震災の惨状を後世の人々に語り伝え、亡き人をしのぶ碑として互いに語り合う場となる。100年も1000年も残り、人々が思い起こしてお参りをしてもらえれば」と述べた。
式で献花を行った佐藤英司さん(62)=宮城県富谷市=は、津波で大船渡町内に住んでいた父・源吉さん(享年82)と母・カツ子さん(同78)を失った。「津波の状況を直接見ておらず、本当に亡くなったのかどうか、まだ踏ん切りがつかないところもある。碑ができたことにはとても感謝しており、両親の名前も刻まれて2人が存在していた記録にもなる。本当にありがたい」と話していた。