「今白水」商標登録、「今泉」地名由来の水/陸前高田(別写真あり)

▲ 「今白水」の井戸と小林さん=気仙町

 東日本大震災で被災した陸前高田市気仙町の産形山(みながたさん)泉増寺(小林信雄住職)にある霊泉・今白水(こんぱくすい)は、大地震と津波にも負けず今もこんこんとわき続けている。藩政時代の中心地だった「今泉」の名前の由来となった泉を守るため、同寺の関係者らはこのほど、「今白水」を商標登録。地元の住民が同寺にまつわるいわれや地域の歴史を見直すことにも結びつけばと願う。

 

気仙町・泉増寺の霊泉、震災でも枯れず残る

 

伊東所長が日を変えて採取した「今白水」。それぞれ色が違う

 弘仁元年(810)の開基と伝わる泉増寺。気仙三十三観音の一番札所で、本尊の聖観音菩薩のほか、境内には安産にご利益があるとされる子安観音堂(平成23年の震災で被災)がある。「今白水」が湧き出る井戸は参道の中途にひっそりとあり、その存在を知る人は少ない。
 寺号はもともと「千蔵寺」だったが、宝永元年(1704)、時の伊達藩領主・伊達綱村公が、夫人の安産を守った観音さまをまつる寺として同寺を探し当てた際、子安観音と霊泉の話に感銘を受け、「産形山泉増寺」と名を改めるよう命じたという。
 霊泉は、同寺縁起書をはじめ、気仙郡の村落について記した「安永風土記書上」にも、「月に一度白くなるので今白水と呼ばれる」とあり、この「白」と「水」をタテに組み合わせて「泉」、つまり「今泉」という地名の由来になったと伝わる。
 徹範さんを父に持ち、現在も同寺の管理にあたる小林恭範さん(74)=竹駒町=は、子どものころに井戸の中をのぞきこんでは「きょうは白くなった」などと思いながら見ていた。今白水から5㍍弱離れた場所にはもう一つ飲み水用の井戸があるが、そちらは白くならないという。
 大震災によってこの井戸も津波をかぶり、内部には土砂が入り込んだ。しかし、同地区在住で林・農業を営む佐藤直志さん、菅野剛さんが土をかき出すなどし掃除した結果、泉自体は〝生きて〟いることが分かった。
 この霊泉に興味を持ち、「今泉の宝」として大事にするよう助言したのは、同地区に昨年開設された済生会陸前高田診療所の伊東紘一所長。伊東所長は、外部の人が泉を無断で利用できないよう、「今白水」の商標登録に尽力した。また、水の成分についても専門機関に分析を依頼。毒物は未検出で、有機物が腐って流れ出している可能性もなく、きれいな水ということが分かった。
 さらに、同泉の水は一般的な水と比べケイ素とアルミニウムの含有割合が高いことも判明。ケイ素は鉱物の構成要素として地殻中に大量に存在し、水晶にも多く含まれる。それがどこから、どうして流れ出すのかは分からないが、水が白くなるのはケイ素由来のものと考えられる。
 昔も今もサンショウウオがすむほど清らかであることはわかっていたが、小林さんは「伊東先生のように、外から来た人が興味を持ってくれたからこそ、地元のいいところに気づかされた」と話し、「直志さんたちをはじめ、常に見回ってくれる地元の人たちのおかげで泉が残ってくれた」と感謝する。
 伊東所長(77)は「下手に調査を行って水脈が変わったりするとよくない。そこにあるがままで、そっと見守るのがいいことだと思う」といい、「こんなに面白い歴史がこの地にはあるのだから、地元の人たちにもっと地元を誇りに思ってほしい」と語った。