気仙から2人が受章、危険業務従事者に叙勲
平成30年4月7日付 1面
政府は、29日付で発令する危険業務従事者叙勲の受章者を発表した。自己を犠牲に社会貢献を続けた海上保安官や警察官、自衛官、消防経験者らの功績に配慮し、春秋叙勲とは別に実施している。受章者は全国で3628人、県内在住者は32人。気仙からは元航空自衛隊准空尉の菅野利正さん(67)=陸前高田市高田町=と、元陸前高田市消防司令の佐々木洋さん(66)=同=が瑞宝単光章を受章する。
瑞宝単光章・菅野 利正さん/防衛功労
最後まで職務全う誇りに

昭和45年、航空自衛隊に入隊し、36年間職務を全うした。受章の知らせに「思いもしなかったことで、身に余る名誉なこと。支えてくれた家族や職場の先輩、同僚がいたからこそ」と感謝する。
旧広田水産高在学時、船舶の無線通信士を目指して勉学に励んだ。卒業前、自衛官入隊の勧誘があり、「働きながら無線の資格を取ろう」と受験。同じく自衛官の道を選んだ同級生2人が陸上自衛隊、海上自衛隊をそれぞれ志願したため、「ならば自分は別の道を」と航空自衛隊に入隊した。
航空学生として新たな仲間と切磋琢磨(せっさたくま)する中で、航空機整備の仕事に憧れを抱くようになり、「自衛官として働き続けよう」と考えが変わった。
教育訓練を受けたあと、埼玉県狭山市と入間市にまたがる入間基地の第2輸送航空隊機体修理班に配属され、23年にわたり航空機の補修、塗装などに当たった。「航空機を安全に飛ばし、パイロットの命を守るうえで重要な仕事。裏方だが、やりがいは大きかった」と振り返る。
その後は、同航空隊の隊本部装備班で退官まで13年間勤務し、隊本部庁舎や航空機格納庫の建て替えなどに尽力。連絡や調整のため他部隊に出向く機会も増え、めまぐるしい日々を過ごし、仕事ぶりが認められ、40代後半には第三級防衛功労章を受けた。
妻・靖さんの三回忌を終え、昨年5月、埼玉から古里に帰ってきた。夫婦で趣味だった釣りはいまも続け、「今年は妻が好きだったアユ釣りに挑戦したい」と笑顔で語る。
瑞宝単光章・佐々木 洋さん/消防功労
家族や職場の支えに感謝

高田町出身。昭和45年、高田高校を卒業して消防士となった。
平成13年に消防署予防係長、19年に消防本部予防係長、20年に消防本部予防係長兼消防署副署長、22年に消防本部消防次長兼消防署長に。平成24年まで42年間、消防業務に励んだ。
署長を務めていた23年、東日本大震災が来襲。当時、勤務中に地震が発生したため、避難指示を出したり、遠隔操作で高田松原の水門閉鎖を行うなどしていた。
防潮堤に設置されていたモニター越しに、潮が引いていくのが見えた。避難するよう住民に呼びかけ、署員や市職員、一般市民とともに署の屋上に避難。津波が高くなってきたため、屋上に設置されていた鉄塔に登った。第1波の引き波で松原の松がなくなる様子も目の当たりにした。その後、第3波が引いたところで自衛隊のヘリによって救助されたという。
発災後は本部が高田町の給食センターに移され、4月末ごろまでは同センターで寝泊まりしながら多忙な日々を過ごした。
受章の知らせに「在職中に震災が発生し、多くの方々が亡くなった。本当に叙勲をいただいてもいいのだろうか、という思いはある」と複雑な心境を吐露する。
それでも「42年間務めてこられたのは、家族や職員の皆さんの支えがあったからこそ」と周囲への感謝を示す。
長年にわたって佐々木さんを支え続けてきた妻・由希子さん(当時59)も津波で犠牲となった。「受章を直接、伝えることができないのが残念。仏前に報告したい」と語る。






