視点/住田町木造仮設住宅の今後は

▲ 説明会が行われた本町仮設団地の集会所。空き室を利用しており、完成当初に近い雰囲気が残る=世田米

定住希望にどう応えるか
建設からの検証も重要に

 

 東日本大震災直後に独自で整備した木造仮設住宅の利用期限を、原則平成32年3月末までとする基本方針を固めた住田町。25、26の両日開いた住民向け説明会では、異論や不安を訴える発言はなく、期限設定に理解を示す住民が多かった。一方、少数ではあるが、住宅再建の道筋を明確に描けていない世帯や、期限後も住田に暮らし続けたいと考える人々への対応など、被災者に寄り添った支援の充実が欠かせない。さらに、後方支援の地として建設から住民支援までの足跡を検証し、今後どうあるべきかを提唱する〝先駆者〟としての役割も求められる。   (佐藤壮)

 26日に世田米・本町団地集会所で行われた説明会には、住民12人が出席。町や陸前高田市、県からの説明後に対する発言はなく、1時間弱で終わった。集会所を出る住民からは「いつかは期限が示されると思っていた」「期限を言ってくれた方が、逆にありがたい」といった声が聞かれた。
 町は整備当初から「最後の1世帯が住宅再建を果たすまで」との運営方針を掲げ、利用期限はとくに定めていなかった。しかし今回、建築から7年が経過して耐用年数に不安が出始めてきた中、同市が進める土地区画整理事業区域内での再建希望者の住宅建築工期などをふまえ、32年3月末という期限を算定した。
 町は震災前から、地元の木材や技術を生かそうと、災害時に使える木造仮設住宅を検討。23年3月11日に襲った未曾有の大津波によって気仙両市では多くの住宅が流された中、町は3日後に木造仮設住宅の建設を決断した。
 町営住宅や旧幼稚園の各跡地、旧小学校の校庭を利用し3団地に計93戸を整備。火石(世田米、13戸)は4月25日、本町(同、17戸)は5月6日、中上(下有住、63戸)は同23日に完成した。
 火石仮設は、国道整備に伴い一昨年秋に利用が終了。現在は本町、中上に合わせて22世帯、53人が暮らす。
 入居者の多くは区画整理区域内での宅地造成や、住宅完成を待ち続ける。半面、住田での生活を望み、まだ具体的な〝次の住まい〟を描き切れていない住民もみられる。
 本町での説明会に参加した40代男性は「子どもが中学校を卒業するまでは、住田にいたい。友達もできて、一緒にスポーツも続けてきたから」と話した。このほかにも、家族の職場が住田にあり、通勤などを考慮して町内居住を考えている世帯もあった。
 子どもの成長や就職、世帯分離など、それぞれの事情を抱える。町には今後、町内にある空き家の紹介も視野に入れるなど、より柔軟な形で被災者に寄り添う姿勢が求められる。
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 入居者に向き合う以外にも、大きな責務がある。独自の仮設住宅整備を振り返り、より良い形をまとめ、広く提唱していくべきではないか。
 多くの入居者が「木の温もりがある」と、快適さを実感する。半面、改良を求める声も少なからずあった。
 例えば、室内には窓が設置されているが、いずれも壁の上部にある形状で、床面まで開口されている「掃き出し窓」ではない。入居者からは「ダイニングキッチンそばの玄関でしか出入りができず、火災時などの避難が不安」との指摘もある。女性が暮らす世帯では、トイレを仕切るアコーディオンカーテンを外し、独自にドアを取り付けた動きもあった。
 一昨年、多田欣一前町長が山梨県で開催された「木のまちサミット」で、国内の自治体10~20カ所にあらかじめ加工した部材をまとめる備蓄を提言した。現実へと進めるためには、さらに洗練した設計や部材のあり方をまとめる必要がある。
 被災地の近隣自治体として独自の後方支援を続け、交流人口拡大や全国的な知名度向上にもつながったことを再認識し、その足跡を検証する時期にも入った。住田町は自らの経験を生かし、広域災害への備えを充実させる先導役を担うことができる。
 どんな災害も、後方支援は欠かせない。行政や住民、事業者、各種団体がそれぞれ知恵や教訓を出し合い、木造仮設住宅の先進地として広く発信する体制づくりも住田らしい復興のあり方といえる。