海の向こうのわたしのまち/陸前高田とクレセントシティ ①つながる2市

▲ クレセントシティ空港で出迎えを受けた陸前高田市民訪問団。戸羽市長や市議を含む21人が、より深い友好関係を築くべく名乗りを上げた

 陸前高田市の戸羽太市長をはじめとする市民訪問団は4月、米国カリフォルニア州デルノーテ郡の郡庁所在地であるクレセントシティ市(Cityof Crescent city)を訪れ、同市との姉妹都市提携を締結した。太平洋を挟んでおよそ7600㌔もの距離を隔て、東日本大震災前にはまったく縁のなかったクレセントシティと陸前高田が、なぜ友情をはぐくむに至ったのか。自然環境や産業、人口規模などの点で、驚くほど似通った点を持つ両市は、互いに相手から何を学ぼうとしているのか。これまでの経緯を振り返るとともに、今後どのような関係を新しく築いていけるか、さまざまな角度からその可能性を探る。(鈴木英里)

 

発災2年後に生まれた縁

 

 「まるで鏡を見ているかのようです。太平洋の向こう側に、自分たちのまちがもう一つあると思ってください」
 東日本大震災後、陸前高田市の海外広報ディレクターを務め、現在も東京に拠点を置きながら復興のため力を尽くしてくれているアミア・ミラーさんは先月、スカイプ(オンライン通話サービス)のテレビ通話を使い、そう語った。渡米を控え陸前高田市役所に集まった市民訪問団「友好の翼」(長谷川節子団長、団員21人)に対し、「クレセントシティとはどういうところか」を説明したセリフである。
 「デルノーテ郡を陸前高田市、クレセントシティを高田町という感覚で考えてほぼ間違いない。人口規模を見てもそうです。漁港があり、大きな川や湾曲した砂浜がある。そしてあちらも、1964年に津波に襲われたという同じ経験を持っている。現地へ行ったらまず『なんて高田と似ているんだろう』と感じることと思う」
 〝アメリカにある陸前高田〟──アミアさんのその言葉に半信半疑だった団員もいたかもしれないが、海を越え、丸一日かけてようやくクレセントシティ空港に降り立った時、メンバーは「これって陸前高田駅?」と言って笑い合った。小さなエアポートの待合室は、まさしく震災前のJR大船渡線・陸前高田駅にそっくりの大きさだった。
 北緯約41度に位置する同市の4月の平均気温は13~14度。北緯およそ39度にある陸前高田とほとんど変わらず、参加者は、「〝カリフォルニア〟ってもっと暑いイメージだった」「遠くへ来た気がしないね」と、苦笑いで上着の前をかき合わせた。

 二つの市に縁が生まれた契機をたどれば、それは東日本大震災に端を発している。だが、実際のことの起こりは平成25年(2013)の4月。
 米国からは官民問わず篤い復興支援を受けてきた日本であり陸前高田であったが、アメリカ西海岸北部の地方都市と、三陸の小さなまちが偶然つながった時には、発災から丸2年が経過していた。
 5年前のある日、「浜辺に船が漂着している」と市民からの通報を受けたクレセントシティの保安官が駆けつけたところ、そこには確かに小型船らしきものがあったという。