地域ぐるみで行事支え、〝閑董院さま〟春の縁日/陸前高田(動画、別写真あり)

▲ 閑董院宥健尊師堂の扉が開放される春の縁日に、多くの人が訪れた=矢作町

 陸前高田市矢作町馬越の古刹・閑董院宥健尊師堂(かんとういんゆうけんそんしどう、市指定有形文化財)で6日、「春の縁日」が行われた。新緑がまぶしい参道を参拝者が行き交い、お参りのあとには地元の女性たちが作ったそばを賞味。今年は地域の若い世代も手伝いに加わり、高僧・宥健の入定日に欠かさず行われてきた縁日の伝統を守った。

 

五月晴れのもと堂内開放、参拝者がそばに舌鼓も

 

 同尊師堂は同町の円城寺(榊原貴晶住職)を開基した宥健をまつる。宥健は永禄元年(1558)、讃岐の国(今の香川県)の生まれといわれ、高野山で修行したのち、奥州路で衆生済度した真言宗の僧。元和5年(1619)の中秋から現在の同市にはびこった疫病を、馬越の洞窟にこもって即身成仏することで鎮めたと伝わる。
 没したのは真言宗の開祖・空海と同じ3月21日といわれ、同寺は旧暦の同日と1月21日、7月21日を「縁日」としてお堂の扉を開放。住民からは親しみを込めて「閑董院さま」と呼ばれ、古くからあつい信仰を集めてきた。
 特に、毎年4〜5月に行われる春の縁日は、大漁祈願や航海安全祈願のため、気仙町長部や気仙沼市唐桑、石巻市などから詣でる人も多かったという。昭和20年代までは数千人の人出でごったがえし、「参拝者が詰めかけ過ぎて、堂内の賽銭箱が部屋の中央まで押しやられた」「縁日には臨時バスや臨時列車が出た」といった逸話も残る。
 往時の面影こそないものの、今でも宥健の徳にあやかろうと住民がお参りに訪れるほか、お堂周辺の新緑や名勝の滝の美しさに引かれて立ち寄る人も。天気にも恵まれた同日は、スミレやニリンソウが縁取る参道をさまざまな世代が行き交い、榊原住職が護摩をたいて家内安全や無病息災を祈願する中、お札などを買い求める人たちでにぎわった。
 大船渡市猪川町の大和田マキ子さん(76)は、「前から一度来てみたいと思っていて、やっと念願がかなった。奥まったところにあるお堂だけれど、人々の心のよりどころとして信じられてきたのだろうなという、言葉では表せないような歴史の重みを感じる。忘れ去られず、行事が続けられているのは素晴らしいことだと思う」と感じ入った様子だった。
 また、馬越地区の女性らが販売する手打ちそばを参拝時の楽しみにしている人も多く、昼時は食堂代わりの小屋も大繁盛。女性たちは地元産のそば粉を使って前日におよそ120人前を仕込み、この日は山菜などと一緒にふるまった。
 10戸ほどの小さな集落で、住民の流出も著しい馬越地区だが、今年は大船渡市農協に勤務する同地区の菅野寿貴さん(25)と、昨年度まで陸前高田市の復興支援員としてNPO法人・高田暮舎に所属していた佐々木裕郷さん(22)=立教大休学中、東京都町田市出身=が、そば打ちや配膳を手伝った。
 佐々木さんは「移住定住促進のための空き家を探す中で、馬越に古い家が残っていることだとか、この地域の隠れた魅力がすっかり気に入ってしまった」といい、現在は公民館に寝泊まりしながら地区住民を手伝う。同地区の菊池もと子さん(81)は、「若い人がいると活気が全然違う。地域の大切な行事を一緒に守ってもらってありがたい」と話していた。