「鉄の村」全容解明へ、栗木鉄山発掘調査/住田町

▲ 町教委に寄せられた第一高炉の写真

 住田町教委は本年度、県指定史跡・栗木鉄山のさらなる価値や歴史的意義の明確化を見据え、鋳物工場跡で発掘調査を行う。昨年度は第一高炉や本社事務所跡を調査しており、これまで実施していなかった場所に光を当てることで、明治から大正にかけて操業していた「鉄の村」の全容解明を図る。町役場で1日に開かれた栗木鉄山跡調査指導委員会議では、本年度の調査計画を確認。昨年度行った文献調査の中で寄せられた第一高炉部分の写真が示されたほか、地元に残る資料を掘り起こす重要性などが話題に上った。

 

本年度は鋳物工場跡で計画

 

 

さらなる価値明確化に向け調査が続く栗木鉄山=住田町

栗木鉄山跡は主に世田米の国道397号栗木トンネルの種山側に位置し、付近には大股川が流れる。明治14年~大正9年に操業された製鉄所で、一時は国内4位(民間3位)の銑鉄生産量を誇った。石垣や水路、高炉の位置などを示す遺跡が見られる。
 江戸時代から蓄積されてきた製鉄技術や、立地環境を生かして操業。職員住宅なども整備されるなど「鉄の村」が形成された。
 調査指導委員会議は平成28年度に設置。委員は熊谷常正氏(盛岡大学文学部社会文化学科、委員長)小野寺英輝氏(岩手大学工学部機械システム工学科)小向裕明氏(大槌町教委生涯学習課)佐々木清文氏(前・埋蔵文化財セ)の4人で構成している。
 同日の会議では、昨年度の調査内容を確認。調査に携わった小向、佐々木両氏らから、第一高炉の炉底基盤や本社事務所跡の両確認調査、資料収集の成果が示された。
 これまで第一高炉については、製鉄史の中で大島高任式高炉の最終期を飾るとの位置づけもあったが、昨年度の調査では、その構造で特徴的な花こう岩の基盤利用は確認できなかった。周囲の石垣も含め、すべて遺跡周辺で調達できる素材が用いられた。
 また、高炉のれんがは、事業に伴って新たに購入しただけでなく、近隣で操業していた子飼沢鉄山などで使われたものを再利用。釜石の橋野高炉に比べ、かなりの省力化が図られている様子がうかがえた。
 本社事務所跡も、釜石鉱山事務所に比べ質素な構造だったことが浮かび上がった。鉱石や木炭、製品の運搬設備、ガスエンジンなどには最新鋭の設備が投入されていたにもかかわらず、事務所内では「ぜいたく品」のような遺物はなく、慎ましい事業姿勢を続けていた足跡がみられたとしている。
 また、資料収集活動では、福島県郡山市在住の田﨑礼子氏から第一高炉前で撮影された写真などの寄贈を受けた。田﨑氏の祖父が栗木鉄山での仕事に従事していたといい、写真は高炉の構造や操業体制を解明するうえで貴重な資料となる。
 本年度調査では、鉄山跡の東端にある鋳物工場跡での発掘を計画。町は平成10年度までに4回試掘調査を実施しているが、鋳物工場跡では行っていなかった。
 熊谷委員長は「栗木では高炉で製鉄を行い、実際に鉄瓶などの製品をつくっていたとされる。今回の発掘で製品の特徴が明らかにできれば。規模が大きい上屋などの写真もあり、施設の範囲も分かってくるのでは」と、本年度調査の意義を語る。
 現地調査は、早ければ8月下旬から着手する。本年度はさらに、第一高炉跡の3D計測業務を専門業者に委託する。町教委は33年度までに、国に文化財指定申請を行う考えを示す。
 明治、大正期は官営の製鉄工場が民間に払い下げられ、江戸時代からの伝統をくんだ小さな製鉄場が発展していく一方、その後は第1次世界大戦後の不況にさらされるなど、鉄産業は激動下にあったとされる。会議では、近代製鉄史における栗木鉄山の価値をどう明確化するかや、地元に残る資料の掘り起こしなどについても意見交換が行われた。
 町教委では、調査に加え、多くの人々に学びの場を提供できる環境整備推進も見据える。種山に構える各観光施設に近く、幹線道路沿いにあるため、今後は利活用への関心の高まりも期待される。