〝再建後〟のステージへ、長洞のコミュニティー維持活動/陸前高田

▲ 長洞元気村で月2回行われる昼食交流会=広田町

 11日で東日本大震災の発生から7年4カ月となる。陸前高田市では土地区画整理事業による宅地の引き渡しが延期されるなど、被災者の住宅再建に想定以上の遅れが出ている地域もある。もともとの町内会を基本としたコミュニティーの崩壊、再形成の難しさは早くから指摘されてきたが、いよいよその課題も深刻さを増している。一方、発災前からの結びつきを固く守り続け、再建後もその絆をさらに深めていこうという住民主体の動きもある。同市広田町の長洞地区では被災世帯が全戸再建を果たしたことを受け、地域における社会課題の解決を目指すという「次のステージ」へすでに踏み出している。


絆づくり 手を緩めず、支え合いで孤立化防ぐ/東日本大震災から7年4カ月

 

 長洞地区の住民でつくる一般社団法人・長洞元気村(戸羽貢代表理事)は10日、同村のなでしこ工房&番屋で「食べて語って交流会」を開いた。同地区に住む70歳以上の高齢者を招いて月2回、手作りの昼食を食べてもらおうと、同法人が長洞部落会とともに先月始めた企画だ。
 同地区は大震災津波により、60世帯中28世帯と、地域拠点である公民館が被災。避難生活を送る中で「長洞に仮設を建て、地区のみんなで住めないか」という声が上がり、すぐさまそれが地域の総意となった。住民らは独自に用地を確保して市へ申し出、「長洞元気村」の名称で26戸の仮設住宅団地を形成した。
 当初から元気村の役員たちは「地区を離れてしまえば、住民の孤立が深まり、地域がバラバラになる」と強く訴え、住み慣れた地、気ごころの知れた人たちによるコミュニティーを維持しながら、生活基盤を立てて直すことにこだわった。集落での復興懇談会、震災からの再興を果たした地域の視察、専門家を招いての勉強会などのほか、防集事業のための高台の用地確保にも積極的に動いてきた。
 結果、長洞元気村からは自力再建が7世帯9戸、自宅の修復再建が2世帯2戸、防集による再建が9世帯14戸、トレーラーハウスを譲り受けての再建が1世帯1戸と、全26戸が地域を離れることなく「終のすみ家」へ移ることができた。
 このうち、トレーラーハウスを譲り受けての再建世帯は当初、経済的な理由から災害公営住宅へ入居していた。だが同法人が県医師会に働きかけ、医療用に使われていた施設を譲渡してもらうなどして昨年、この世帯を地元へ呼び戻すことができた。元気村事務局長の村上誠二さん(62)は「ずっと目指してきた『地域丸ごと移転』が実現し、感慨深い」と振り返る。 
 全戸再建が実現した長洞地区。それまでは被災世帯への支援が中心だった同法人も、地区全体のコミュニティー力強化を考える段階に来た。その取り組みの一環として始めたのが「食べて語って交流会」だ。
 家族と一緒に暮らしていても、日中は一人になる人、高齢者のみになる世帯も地区内に30~40軒あるといい、孤立化防止の取り組みの必要性はかねて感じていた。昼食交流会は赤い羽根共同募金「ボラサポ2・被災地住民支え合い活動助成」の採択を受けて実施。地場産品で菓子やおかずなどを製造する元気村の女性グループ「なでしこ会」が中心になって弁当を用意し、集まった人たちでテーブルを囲む。来られない人にも宅配し、栄養バランスのとれた食事を提供している。
 先月初めて交流会を実施し、村上さんたちが気づかされたのは、意外と「震災後初めて顔を合わせた」という人がいたこと。もともとの絆が強い地区でありながら、高齢になると出歩くことが減り、人との接点が少なくなる。昼食交流会は、従来あった結びつきを取り戻す意味でも重要だと感じている。
 久々に顔を合わせた人たちは、西日本の水害や震災当時の経験といった話題を共有しながら、おしゃべりに花を咲かせる。「集まって話す中で、現在の悩みや困りごとも見えてくるはず。そこからみんなでどうしたらいいかを考えていくことができる」と村上さんはいう。
 食事の準備にあたるのはなでしこ会のメンバーだけではない。参加者自身もボランティアとして加わる。この日も「ジャガイモをつぶしてくれたのはこの方なの」「お願いしなくてもみんなでお茶っこ入れてくれたり、本当に助かる」と、女性たちがメンバーから感謝を集めた。
 村上さんは、「高齢者にも、地域づくりの中でできることがあると知ってほしい。住宅再建を果たした長洞はこれから、地区全体で少子高齢化という社会課題に向き合っていける」と語り、コミュニティーのステップアップにあたって表情を引き締める。