国際交流員のディランさん、任期満了で次のステージへ/陸前高田

▲ 市初の国際交流員として活躍し、2年間の任期を終えたディランさん=陸前高田市

 陸前高田市が平成28年7月、同市初の国際交流員として任用したアメリカ人のディラン・チャプマンさん(26)が今月で任期を満了し、同市を離れることになった。海外向け情報発信の充実や、外国人旅行者の受け入れ拡大などを市が推し進めるうえで重要な役割を担ってきただけでなく、海外の自治体との友好関係構築にも尽力したディランさん。その経験を生かし、かねての夢である翻訳家を目指しながら陸前高田の復興を見守り続けたいとしている。

 

市が任用、経験生かし 翻訳家目指す

 

 ディランさんは、米国ミズーリ州の大学で国際関係学を学び、学生時代は交換留学生として滋賀県に4カ月間、その後は1年にわたって長崎県にも住んだ経験がある。長崎在住時代に「日本語にかかわる仕事に就きたい」との思いを強め、国などが実施する「語学指導等を行う外国青年招致事業」に登録。陸前高田市初の国際交流員となった。
 これまでディランさんは、企画部商工観光課などに所属し、英語情報の発信、外国人旅行者の誘致や受け入れ環境の整備に関する活動、海外から市を訪れる客人のアテンドなどを務めてきたが、今月いっぱいで任用期間が満了。24日に勤務を終えた。
 今後は東京に移り住み、外国人向けの日本観光案内サイトの運営・自治体等のホームページの英語翻訳などを請け負う企業に就職。陸前高田での経験を生かし、「小説の翻訳家になる」という目標をかなえたいという。
 2年前、陸前高田に来る前は不安も。国際交流員は県庁などへ派遣されるケースが多く、地方都市、しかも被災地への赴任と聞いて少なからず驚いた。
 事前にインターネットで調べても、震災前と震災後の情報が混在していて現地の内情がつかめない。しかし、実際に暮らすようになってすぐ、「店や遊ぶところが少なくても、なんとかなる」と思うようになった。「みんなが優しくしてくれたから」という。
 旧高田一中、竹駒町の相川と、2カ所の仮設住宅で生活。散歩が好きで、仮設の近隣もよく歩いた。大船渡市のテニス協会にも入り、毎週のようにテニスを楽しんだ。高田町のりくカフェは、家でもない、職場でもない「Third place(第三の居場所)」であり、市内でも一番好きな場所だったという。
 外国人に陸前高田のことを説明しているときは「自分も〝タカタの人〟になれたような気がしてうれしかった」と振り返るディランさん。最も思い出深いのは、同市と米国カリフォルニア州のクレセントシティ市が今年、姉妹都市提携する場面に立ち会えたことだという。
 「世界中に姉妹都市の関係はあるけれど、交流が始まってから提携を結ぶ最初の瞬間までその場にいてかかわれるなんて、誰にでもできる経験じゃない」と感慨をにじませる。
 市役所では英語を日本語に訳す仕事がひっきりなしにあり、その経験を積んだことが自分の力になったという。
 「最初は訳したものをたくさん直されて大変だったけど、おかげで日本語力を伸ばしてもらった」とディランさん。けんか七夕や太鼓フェスティバルで聞いた陸前高田の太鼓演奏について「『血潮が沸く』と思った」と評するなど、2年前より語彙(ごい)も格段に増えた。
 最初は戸惑った同市への赴任だが、「コミュニティーのつながりや、現地に来ないと分からない魅力を知ることができた。すべて意味のある仕事で、毎日が勉強の連続だった。復興のスピードはどんどん上がっているし、1年後はどんなふうに変わっているのか、とても楽しい。全部見たいと思う」と語る。
 陸前高田での生活について、「将来、翻訳家になるための第一歩。目指す世界へつながる扉だった」と感謝するディランさん。新しいドアを開けて同市から旅立ち、次のステージへと向かう。