被災看板を撤去・移設、陸前高田市のGS新店舗で写真と併せ津波の脅威伝える/オカモトセルフ(別写真あり)

▲ 撤去された盤面。およそ15㍍から7・5㍍の高さになり、遺構として米崎町の新店舗へ移設される=高田町

 陸前高田市高田町の旧・道の駅高田松原(タピック45)前にあり、東日本大震災で津波の直撃を受けたガソリンスタンド(GS)オカモトセルフ陸前高田の被災看板は31日、店舗移転に伴い撤去された。15㍍を超える大津波に襲われたことを示す「震災遺構」としての役割を果たしてきたことから、同GSを運営する㈱オカモト(本社・北海道帯広市、岡本謙一社長)は同市米崎町沼田に整備中の新店舗に移設する。屋外広告について規制する県の条例があるため、高さはこれまでの半分ほどになるが、新しい店に震災直後の写真などを展示する資料館を設け、併せて大津波の脅威と教訓を伝える。

 

設置高さ変えて保存、震災モニュメントに

 

 陸前高田市高田町の旧・道の駅高田松原(タピック45)前にあり、東日本大震災で津波の直撃を受けたガソリンスタンド(GS)オカモトセルフ陸前高田の被災看板は31日、店舗移転に伴い撤去された。15㍍を超える大津波に襲われたことを示す「震災遺構」としての役割を果たしてきたことから、同GSを運営する㈱オカモト(本社・北海道帯広市、岡本謙一社長)は同市米崎町沼田に整備中の新店舗に移設する。屋外広告について規制する県の条例があるため、高さはこれまでの半分ほどになるが、新しい店に震災直後の写真などを展示する資料館を設け、併せて大津波の脅威と教訓を伝える。

 10年以上前、高田町古川の旧国道45号沿いで開業した同店は、平成23年の大津波で事務所や計量機などが流失。屋外看板は津波にも倒されず残った。
 24年3月に同じ場所でリニューアルオープンした後、この被災看板を一目見ようという市内外からの来訪者が増えたことから、大震災の記憶を伝える建造物として同社が落下防止策を施したうえ、利用を続けてきた。また、26年ごろには「津波水位15・1M」と青文字で書いた説明板も設置された。
 今年に入り、国道のかさ上げ工事と高田松原津波復興祈念公園の整備が本格化したことに伴い、同店は現地から退去し米崎町へ移転。発災から7年が経過し、震災のつめあとが分かりにくくなっている今、〝物言わぬ語り部〟である看板もそのまま移設できないかと、同社は陸前高田市や県と話し合いを重ねてきたという。
 市は遺構としての価値があるとして、市の景観計画においても例外的にこれを認める方針を示したが、現状の高さでは、屋外広告物に関し「高さ7・5㍍以内、表示面積15平方㍍以内」と規制する県の条例に抵触することから、同社は元の高さでの移設は断念した。
 一方、看板の盤面の表示面積は現状では25平方㍍(5㍍×5㍍)となっているが、市が県に届け出を行い、盤面はそのまま保存することが認められた。新店舗では新たに約2㍍の柱を取り付けたうえで、震災遺構のモニュメントとして設置する。
 移転後のGSは10日(金)にオープン。看板は屋外に立つが、敷地内の監視塔に隣接する形で、高さ3㍍×幅4㍍ほどの東日本大震災資料館(展示室)を新たに開設し、一般公募で集めた震災時の写真などを展示する計画だ。
 展示は利用客だけでなく、誰でも見ることができるという。 
 7月31日には朝から看板の解体作業が行われ、GSスタッフらが見守る中、昼前に「津波水位15・1M」と書かれた盤面が地面におろされた。
 同社エナジーマーケティングカンパニーSS事業部・北東北シニアマネジャーの勝山努さんは、「高さがあってこそ津波の脅威が分かる看板だったので、そのまま残せなかったことは社としても残念。しかし、本来ならば許可されない大きさと色にも関わらず例外的に認めていただき、津波を耐え抜いた盤面を残せるようにしてもらったことに感謝している。形を変えても東日本大震災の脅威を後世に伝え、風化の防止に役立つことができれば」としている。
 同社は資料館に展示する震災当時の写真などを提供してほしいと市民らに呼びかける。
 画像データを提供できる人は名前を明記したうえ、メール(emc-honbu@okamoto-group.co.jp)で送信を。