48年の歴史に区切り、順道館岩﨑道場が閉館/陸前高田(別写真あり)

▲ 岩﨑館主(左から3人目)が開いた順道館岩﨑道場が閉館。道場生たちは今後、夢アリーナたかたで教えを受ける=米崎町

 昭和45年に陸前高田市高田町に開設され、以来48年間にわたって同市の柔道振興に寄与してきた順道館岩﨑道場(岩﨑健二館主)は31日、個人道場としての歴史に幕を閉じた。閉館式は米崎町の仮設道場で開かれ、門下生、道場生らがこれまでの歩みを振り返りながら、「道に順(したが)い勝ちを制す」という教えを改めてかみしめた。道場生たちは10月以降、この春オープンした高田町の市総合交流センター・夢アリーナたかたの柔道場でけいこを続け、〝先輩〟たちのように全国区で活躍できる選手となることを目指す。

 

全国級の選手多数輩出、10月から夢アリーナで活動


 閉館式は夜のけいこ後に行われ、道場に通う生徒たちと保護者、現在は指導者となった門下生、戸羽太市長らが出席。千葉県や青森県からも道場の出身者たちが駆け付け、閉館を名残惜しんだ。
 岩﨑館主(77)の大学の後輩にあたり、東日本大震災後は同館を通じて支援活動を行ってきた小林次雄八段(73)=東京都=は、「岩﨑先生が道を開き、築いてくれた50年近い歴史は、きょうで終わるわけではない。場所が変わっても地域への競技普及のため頑張り、仲間を増やしてほしい」と激励の言葉を送った。
 岩﨑館主は東洋大学卒業後、高校教師をしながら柔道整体師の資格を取得し、昭和44年11月に古里・陸前高田へ帰郷。高田町に整骨院を開業し、8畳の自宅物置で柔道の指導を始めた。翌年7月には私財を投じて同町字館の沖に48畳の道場を開設。大学の恩師である醍醐敏郎十段が「順道館岩﨑道場」と命名してくれたという。
 これは、柔道の祖であり講道館の創始者・嘉納治五郎が教えた「勝つにしても道に順って勝ち、負けるにしても道に順って負けなければならぬ。負けても道に順って負ければ、道に背いて勝つより価値がある」という「順道制勝」に由来し、同館は柔道の技術だけでなく、この教えを大事に伝え続ける。
 平成23年の大津波で道場は全壊したが、その直後から市内にある建設会社の駐車場を借りて「青空道場」を開始。その後は旧第一中の格技場で練習を再開し、25年8月からは米崎町に仮設の常設道場を開くなど、多くの制約を受けながらもけいこを継続してきた。
 しかし仮設施設の供用期間である5年が経過し、解体が決定。夢アリーナたかたに98畳の柔道場が整備されたことから、岩﨑館主は「個人道場としての役割は果たした」とし、9月末日での閉館を決めた。
 指導を始めてから48年10カ月の歳月で、送り出した門下生は約800人。その多くが、県下はもとより全国のトップレベルで活躍し、由緒ある大会でも上位入賞常連の競技者ばかりだ。
 5歳から道場に通い、盛岡大学附属高、東洋大でも優秀な戦績を残した高橋利光さん(37)=大船渡町=は、「入門して1年は受け身だけ、その次の1年は打ち込みだけしか教えてもらえなかった。でもそのおかげで、どこへ行っても『柔道がきれいだ』と言ってもらえた。県のベスト4に入るのはいつも岩﨑道場の生徒。全国でも、誰もが『岩﨑先生の教え子か』と知っていてくれる。この道場の出身であることが本当に誇らしかった」と振り返った。
 岩﨑館主は、「日本一を獲った教え子はついに一人もいなかったが、2位、3位の子はたくさんいる。私の教えではそれぐらいがちょうどいいのかもしれない」と笑いながら、「柔道で勝つこと、優勝することも素晴らしいが、それ以上に、人生で〝負けない〟人になってほしい」と門下生たちを思い、改めて「順道制勝」の教えを説く。
 岩﨑道場としての役目は終わるが、50年近く同市で柔道普及と競技の発展を担ってきた「順道館」の名は残したいという門下生や保護者からの声も多く、現在は同アリーナの道場にその看板を掲げられないか市と協議中だという。
 「長い間、大きな事故もなくやってこられて何よりだった。皆さんと家族の協力に、ありがとうという気持ちでいっぱい。これからは特に若い指導者が中心となって、子どもたちを育てていってほしい」と岩﨑館主は教え子たちに期待をかける。