鋳物製造 間近で理解、栗木鉄山発掘現場見学会/住田(別写真あり)

▲ 見つかった鋳型などを間近で確認する参加者=世田米

 住田町教育委員会による「栗木鉄山発掘現場見学会」は13日、世田米子飼沢地内の現地で行われた。参加者は、今年夏から内容確認調査が行われてきた鋳物工場跡などを視察。鍋を大量に製造していた歴史が分かる出土品を目にし、豊かな森林資源をはじめ自然を生かした産業遺産への関心を高めていた。

 

調査成果を報告


 栗木鉄山は明治14年~大正9年に稼働し、最盛期には銑鉄生産量が日本で第4位(民間では3位)、従業員は500人以上いたとされる。種山の原生林を生かした木炭をエネルギーとし、二つの高炉や工員住宅、学校も設置されるなど〝製鉄村〟として栄えた。
 現在も石垣や水路、高炉付近の遺構が残され、炉底や基壇もかなり良好な状態で保存されている。平成9年には町指定史跡、11年には県史跡に指定され、現在は国文化財指定を見据える。
 本年度の調査は、8月からスタート。新たに鋳物工場跡の範囲確定などを進めてきたほか、すでに調査を終えた第一高炉や本社事務所跡では、デジタル図面化を見据えた作業などを行ってきた。
 見学会は、調査の現状や栗木鉄山全体への関心を高めてもらおうと企画し、町内外から約50人が参加。栗木鉄山全体の説明は町教委の佐々木喜之社会教育主事が、鋳物工場跡の説明は栗木鉄山跡調査指導委員の佐々木清文氏がそれぞれ行った。
 鋳物工場跡では、佐々木氏が鋳型や格子状の鉄製品に加え、崩れないように縛る針金などの出土品を紹介。直径30~35㌢で深さ15㌢の大きさの鍋をつくる鋳型が多かったが、それ以外の大きさも製造していたとみられる。
 また、礎石などから鋳物工場の建物は南北18㍍、東西13㍍だったと推定。参加者は表土を除去して明らかになった工場規模などに理解を深めながら、明治から大正にかけての住民生活を支えた鋳物製品づくりに思いを巡らせた。
 見学会に参加した奥州市水沢の南部鉄器メーカー・及源鋳造㈱の及川秀春専務取締役(58)は、「製鉄そのものは近代的な技術を取り入れ、鋳物は伝統技術を継承していると感じた。良質な鉄鉱石を用いて、高品質の製品がつくられたと思う」と話していた。
 このほか、第一高炉や本社事務所跡を視察。秋ならではの葉の色づきや大股川のせせらぎも楽しみながら、かつて製鉄が営まれていた地への愛着を深めていた。