瀬尾さん(北里大生)の人生紡ぐ、越喜来小児童が演劇で/大船渡(別写真あり)

▲ 思いのこもった演技を展開する瀬尾さん役の小西さん㊧ら5年生=越喜来小

 大船渡市三陸町の越喜来小学校(鈴木直樹校長、児童78人)で20日、学習発表会が行われ、北里大学海洋科学部2年時に、東日本大震災津波で行方不明になった瀬尾佳苗さん=当時20、東京都出身=の生涯を描いた演劇が上演された。5年生15人による演劇のタイトルは「かなえのタイヤ―海に嫁いだ娘の物語―」。同校の校庭にあるタイヤの遊具が、瀬尾さんゆかりの人たちによって設置されたというつながりから作られたもの。瀬尾さんが紡いだ人生を、児童らが思いを込めて演じ、保護者ら来場者の涙を誘った。

 

震災の津波で今も行方不明

思い込めて保護者らに披露

 

 平成28年11月に新校舎の供用を開始した同校。校庭の一画には、22本のタイヤの遊具が設置されている。
 瀬尾さんの父・眞治さん(64)と母・裕美さん(60)や、瀬尾さんゆかりの人々がオープンさせた居酒屋「越喜来や」のツアー参加者らが作ったもので、このうち4本は震災当時、瀬尾さんが乗っていた車のタイヤでもある。
 海が好きで、学芸員になって水族館に勤めるのが夢だったという瀬尾さんは、東京の高校を卒業後、北里大学に入学。1年間相模原キャンパスで過ごしたあと、越喜来の三陸キャンパスで学業に励んでいた。東日本大震災では、越喜来で津波にのまれ、行方不明になったとみられる。
 同校5年生は、震災学習の一環として、このタイヤの遊具が取り付けられた経緯などを学び、瀬尾さんの両親の思いや越喜来の住民と重ねてきた交流活動、瀬尾さん本人の人柄などについても学習を重ねてきた。
 その集大成として取り組んだ演劇は、担任の浦嶋健次教諭(35)が台本を作成した。瀬尾さんの高校までの生い立ちや北里大での生活、震災後の家族の行動や心情をつぶさに描写。避難しようとしていた人の車いすを押して助けた、という発災から約半年がたって判明した瀬尾さんの最後の様子や、タイヤ遊具の設置までも細やかに描かれた。
 児童らは、瀬尾さんや家族、友人らの思いを引き受けたかのような迫真の演技を披露。最後に「生き物を愛し、周りの人たちを大切にする佳苗さんの心は、今も広がり続けている」と呼びかけると、目頭をおさえる来場者の姿もみられた。
 学習発表会には、眞治さんと裕美さんも駆けつけた。
 眞治さんは「事細かく研究して、よくここまで仕上げてくれた。子どもたちにありがとうと言いたい。今回の取り組みによる子どもたちの成長に、佳苗が関わることができたのがうれしい」と、裕美さんは「佳苗が一番喜んでくれていると思う。佳苗が過ごしていたあの時に戻ったみたいで、まるでタイムカプセルのよう。魂に染みる演技で、本当にありがたい」と感極まった様子だった。
 瀬尾さん役を演じた小西敦友さんは「震災を知らない人に語り継いでいきたいという思いと、タイヤを設置してくれた佳苗さんの両親への感謝の気持ちを持って臨んだ。自分に子どもができたら、タイヤの話とかを聞かせて、自分も忘れないようにしたい」と話していた。