来夏、高田松原に〝帰還〟、産直「採れたてランド」が新しい道の駅で再出発へ /陸前高田

▲ 採れたてランドが再出発するにあたり、組合員たちを奮起させた被災看板=竹駒町

18日に仮設最後の収穫祭

 

 東日本大震災は、あす11日で発生から7年8カ月を迎える。震災前、陸前高田市の旧「道の駅・高田松原」の物産館内に産直店舗を置き、被災後は竹駒町の仮設施設で営業する農事組合法人採れたてランド高田松原(熊谷恭雄組合長)はこのほど、来年8月にオープンする新「道の駅・高田松原」へのテナント入居が決定した。高田松原津波復興祈念公園の一部である道の駅開業で交流人口の大幅な増加が見込まれている中、採れたてランドは三陸観光の〝ゲートウェイ〟たる道の駅で観光客を迎え入れ、同市の復興に寄与するため新商品開発といった新たな展開も検討。店舗移転は来夏となるが、18日(日)には仮設施設で最後となる「収穫祭」を開催し、「利用者らへの感謝を示したい」と意気込む。

 

あす発災7年8カ月

 

 採れたてランド高田松原は平成7年発足。18年に農事組合法人となり、高田松原物産館で営業を始めた。震災前は95人の組合員がおり、同市産の農産物が観光客や地元住民から評判を集めていたが、23年の大津波で物産館が全壊。一時は組合解散も危惧された。
 しかし、「続けてほしい」という組合員の声を受け、当時の組合長や副組合長が土地探しに奔走。竹駒町字滝の里の現在地で再開のめどがたったあと、組合員らがこの用地に流れ着いた震災がれきを片づけていた時、被災した店から流失したはずの採れたてランドの看板が見つかったという。
 これから再起を図ろうという、その場所から運命的に現れた看板。店長の船本恵子さん(45)は「『ここで頑張れよ』という〝しるし〟だったのかなって。みんなであの時、『ようし、こっがらまた歩き出すぞ』と気持ちがすごく盛り上がった」と振り返る。
 同法人は23年6月に〝仮設の仮設〟から産直を再開。24年1月には中小企業基盤整備機構によって整備された施設がオープンし、現在に至る。27年11月、設立20周年を迎えたのもこの仮設店舗でだった。 
 新しい道の駅へのテナント入居が決まり、熊谷組合長(68)は「早く本設に移りたいという気持ちと、去る寂しさ、どちらもある」と、船本店長は「仮設住宅から散歩がてら利用してくれたり、ここに移ってからの常連さんもいる」と、それぞれ複雑な気持ちをのぞかせる。
 同市を訪れる災害ボランティアが減少したことなども受け、売り上げは震災前の半分以下と厳しい状態は続く。また、組合員は現在、準組合員も含め80人いるが、休農している人もおり、移転へ向けては取り扱い商品の不足も懸念される。
 一方、生産者らは気合十分。野菜部会が来年の作付面積拡大を計画しているのをはじめ、果物、花、加工の各部会でもそれぞれ士気を高めているという。
 仮設で営業するようになってからも、季節を大事にする組合員らが節句や季節行事にふさわしい商品を積極的に用意したり、十五夜には店から買い物客にススキとハギをプレゼントするなど、昔からの〝サービス精神〟も変わらない。
 こうしたおもてなしの気持ちを基本に、熊谷組合長は「三陸道を素通りされないためにも、ありきたりなものだけ扱っていてはだめ。お客さんに喜ばれ、『ランドでしか買えない』と言われるようなものを売り出さなければ」と、新たな挑戦も視野に入れる。
 同店では18日午前9時から、仮設で最後となる恒例の収穫祭を開催。新米の販売をはじめ、10時から祝いもちまき、11時ごろから芋の子汁サービスを行う。
 熊谷組合長は「組合員たちがランドを盛り上げ、厳しい状況の中で続けてくれていること、温かい声をかけてくださるお客さんに感謝したい」とし、来場を呼びかけている。