震災7年8カ月―忘れえぬ思い⑧瀬尾眞治さん(64)裕美さん(60)夫妻
平成30年11月11日付 7面
娘が好きだった越喜来で
住民との結びつき 強く深く
10月、大船渡市の越喜来小学校で行われた学習発表会。5年生15人は「かなえのタイヤ―海に嫁いだ娘の物語―」と題した演劇を披露した。東日本大震災で行方不明となった北里大学海洋生命学部2年の瀬尾佳苗さん(当時20)=東京都出身=の紡いだ20年の人生を、父・眞治さんと母・裕美さんの前で演じきり、来場者の涙を誘った。
同校校庭にあるタイヤの遊具は、眞治さんと裕美さん、瀬尾さん一家とゆかりある人々がオープンさせた居酒屋「越喜来や」=埼玉県志木市=のツアー参加者らが設置した。22本あるタイヤのうち、4本は佳苗さんの車につけられていたものだ。
今年8月、眞治さんらは、同校5年生の担任から佳苗さんやタイヤの遊具のことを劇で取り上げたいと相談を受けた。それを快諾し、資料として佳苗さんを取り上げた本や、小学校のころの学芸会のビデオを送った。出来上がった台本を見て、眞治さんは「少し生々しいかも」と感じたが、子どもたちの演技を見て「よくここまで仕上げてくれた。佳苗が一番喜んでくれていると思う」と、しみじみ話した。
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水族館の学芸員を目指し、越喜来のアパートに暮らしながら三陸キャンパスで学んでいた佳苗さん。大震災直後のことを眞治さんは「最初は大学にいるから大丈夫だと思っていた。でも、その日は卒業式で、地震が起きた時間には既に終わっているのに気づいた。一体どこにいるのかと」と振り返る。どこにかけても電話はつながらない。大学の法人本部がある東京都港区の白金キャンパスに向かうと、三陸キャンパスの学生らを乗せた救援バスの第一陣が到着した。
バスに乗っていた学生から話を聞くと、佳苗さんは、先輩とともに避難しようとしていたが、気がついたら姿が見当たらなくなっていたという。
大学と直談判し、再び大船渡へと向かうバスに乗り込んだ。越喜来に到着したのは、発災から5日がたった3月16日のことだった。「寒い日だった。雪が降る中、避難所を回った。あの頃のことは鮮明に覚えている」。
三陸公民館付近で佳苗さんの車が見つかったが、何度足を運んでも、佳苗さん本人は見つからなかった。
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7月に佳苗さんのお別れ会が開かれた。震災から4カ月がたっていたが、「先輩と一緒に逃げていたはずなのに、なぜついていかなかったのか」という疑問は消えなかった。
9月、佳苗さんの友人から連絡を受けた。友人の知り合いの知り合いという北里大生に「震災の時、うちのばあちゃんが学生の女の子に助けられた」という人が訪れ、「一人で車いすで避難しようとしていたら、学生さんが車いすを押して助けてくれた」と話したという。
胸につかえていたものが取れた思いだった。「困っている人がいたら見過ごせない子。そういう人柄が最後も発露したのかな」。
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眞治さんらは震災以降、たびたび越喜来を訪れるうちに、地元住民らと交流が生まれた。結びつきは年を追うごとに強く、深くなっている。住民らと交流したり、ボランティアを行う「越喜来や」のツアーも好評だ。眞治さんは「支援はできないけれど、これからも(越喜来の)いろいろなところを発信していければ」と力を込める。
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浦浜海岸の近くにある未音崎湾望台には、1基の石碑が静かにたたずんでいる。家族が佳苗さんをしのんで、地元住民が提供してくれた土地に建立したもので、復興工事に伴い、地元の浦浜・泊まちづくり委員会が地区全体の鎮魂の意味も込め同湾望台に移設した。手向けの品は今も絶えない。佳苗さんの友人や家族、地元住民らの思いが込められた石碑は、佳苗さんが好きだった越喜来の海をいつまでも見守っている。
(月1回掲載)






