「やっと一緒のお墓に」、没後72年 遺骨が〝帰郷〟

▲ 遺骨を手に安堵の表情を見せる信也さん㊧とチヱ子さん=下有住

 

 第2次世界大戦後、旧ソ連でのシベリア抑留中に亡くなった住田町下有住出身の水沼信夫さん=享年22=の遺骨がDNA鑑定で特定され、9日、同町の実家に届いた。没後から72年が経過して実現した、待望の〝帰郷〟。信夫さんを思い続けた両親らは他界したが、実家を守る家族や親族らは「これで、みんなと一緒のお墓に入れられる」と、目を潤ませた。納骨は、17日(土)に予定している。

 

シベリア抑留中に死亡 下有住出身の水沼さん

DNA鑑定で判明

 

 親族らが見守る中、県の関係者らが9日に下有住の実家を訪問。遺骨は、仏壇のそばに遺影とともに置かれた。信夫さんの義妹にあたり、実家に暮らす水沼チヱ子さん(86)は「思い続けてきて良かった」と語り、表情を緩ませた。
 大正12年生まれの信夫さんは、地元の青年団活動などにも熱心に携わったあと、婚約者を残して18歳で出兵。チヱ子さんは「人柄もよく、がっちりとした体格だった。出兵時はみんなで見送った」と振り返る。
 陸軍の「歩兵第246連隊」に所属し、満州で拘束されたとみられる。昭和20年の終戦後、一緒に抑留されるも住田に戻った人からは「ベッドの上で横になっていて、やせていた。連れてくることはできなかった」と告げられた。
 当時、遺品として木箱が実家に送られてきたが、中には何も入っていなかった。同23年に葬儀を行ったあとも、信夫さんの母らが悲しみにくれながら〝帰郷〟を望んでいたという。遺族は抑留者の慰霊式典などで盛岡に出向いた際、遺骨が見つかっていないことを関係者に伝え、早期発見を待ち続けてきた。
 平成28~29年にかけ、政府派遣の遺骨収集帰還団は、ロシア・ハバロフスク地方の「第1収容所第2支部第310病院」埋葬地で、54柱の遺骨を収容。旧ソ連から提供された約60人からなる抑留中死亡名簿の中に、信夫さんの名前があった。
 これを受け、おいにあたる水沼信也さん(64)=雫石町=が、DNAを提供。鑑定によって、信夫さんの遺骨が判明した。
 信也さんは「若くして亡くなったためか、きれいな骨だった。他にも待ち続けている遺族は多いと思う。終戦から年月が経過して遺族も高齢化しているが、きっと戻るはず」と話す。
 今年9月には、信夫さんの七十回忌と、弟・龍雄さんの七回忌を合わせて行った。17日には、先祖が眠る萬福寺の墓に納骨することにしている。
 チヱ子さんは「周りの人たちは復員できたのに、どうして戻ってこないんだとお母さんが泣き続けていたのを知っていた。待ち続けていて良かった」と語り、安堵の表情を見せる。