郷土玩具「俵牛」復活への動き加速、市民らが製法受け継ぐ/陸前高田(別写真あり)

▲ 陸前高田市コミュニティホールには受講生らが作った俵牛が展示されている=高田町

 一度伝承が途絶えてしまった郷土玩具「俵牛(通称:首ふりべーご)」の復活を目指す市民らの動きが、陸前高田市内で加速している。今年5月に発足した「高田郷土伝統張子玩具俵牛『首ふりべーご』伝承の会」(熊谷睦男会長)と、同会の趣旨に賛同する高田地区コミュニティ推進協議会(横田祐佶会長)では、6月から初の伝承実技講習会を開催。受講者の作品は現在、市コミュニティホールに展示されている。同会は、講習会を通じて見えてきた課題を精査したうえで、技術継承と土産品としての生産再開を見据えた活動展開を模索する。

 

伝承の会など講習会開催


 俵牛は竹駒町の玉山金山から産出した金を運ぶ牛の姿を模した張り子玩具で、首の部分が上下左右に揺れることから「首ふりべーご(牛)」とも呼ばれる。400年以上の伝統があり、昭和30年代に「高田郷土玩具製作所」を構えていた村上新太郎さんが民芸品として〝進化〟させたが、村上さんが亡くなってからおよそ20年にわたり伝承が途絶えた。
 しかし、60年近く前に村上さんから俵牛のデザインを依頼された市芸術文化協会の熊谷睦男会長(84)が昨年度、「地元の歴史として俵牛について学びたい」という高田小学校の要望を受け、製法の再現などに尽力。気仙大工の武藏栄治さん(82)が張り子の土台となる木型を作り、同校の授業で児童に張り子の作り方を伝えたほか、こうした取り組みを知った高田地区コミュニティ推進協が市民向けの講習会を開催するなど復活への機運を高めてきた。
 俵牛の保存会となる伝承の会は、熊谷会長や武藏さん、市民有志らが設立。高田コミセンが主催、同会が主管して6~11月に、会の発足後初の実技講習会を開いた。
 13日に行われた「修了の会」には、受講者25人中17人が出席。横田会長から修了証、熊谷会長から活動の記録をまとめた冊子を受け取った参加者らは、そろって充足した笑顔を浮かべ、「本当に苦労したけれど、その分、完成品を見た時の感激はひとしお」「(保存会結成前の)昨年の講習会の時より、いいものが作れた」などと喜びを語り合った。
 また、唯一の小学生受講者となった出羽海成君(高田小6年)が「名前しか知らない状態で参加したけど、作るのは想像以上に大変だった。でも、みんなで助け合って完成させられたことがうれしい」と感想を述べると、受講者からは「頼もしい」とひときわ大きな拍手が起こった。
 村上さんのおいで、会員の村上俊一さん(61)は「『簡単に作れるものではない』とは聞いていたが、できた時の達成感は何物にも代えがたいものがある。分業したり、いい意味で手を抜けるところがないか工夫してみて、量産も考えていければ」と語った。
 熊谷会長は「文化の継承には、その時代の背景を生かした進化があってよいと思う。皆さんのアイデアが組み込まれた新しい〝べーご〟がスタートを切り、復活させたいという私の念願がやっと実現へと踏み出した。これで終わりではなく、2回、3回と講習会を続けていき、ゆくゆくは以前のように土産品として全国発信につなげられたら」と意気込む。
 横田会長(75)も、「製作過程の精査や価格設定など、考えなければならないことはたくさんある。一本松茶屋など人が集まる場所に展示してもらい、さらに多くの人に知ってもらえるよう取り組んでいきたい」と話していた。