大津波資料館 「潮目」を解体、農場整備本格化で/越喜来

▲ 被災跡地に建てられていた潮目=三陸町越喜来

 東日本大震災津波で発生した廃材で大船渡市三陸町越喜来の被災跡地に建てられ、地元住民やボランティアの集いの場となっていた大津波資料館「潮目」は、同跡地へのイチゴ農場整備が本格化するのに伴い、17日までに解体された。同資料館に置かれていた旧越喜来小学校の非常階段などの〝震災遺構〟は、同資料館を建設した片山和一良さん(67)=越喜来=が所有する近くの私有地に移された。移設先には大船渡町にあった理容室の仮設店舗など複数の施設が移築されており、片山さんは、この場所が人々の交流し合う新たな〝潮目〟となることを願っている。

 

地元の片山さんが廃材で建設
〝震災遺構〟は近くに移設

 

 流れの違う海流同士がぶつかり、多くの魚が集まる潮目のように、人と人とが交わり合う場となってほしい──。そんな思いが込められた資料館「潮目」は、震災翌年の平成24年7月、被災跡地である旧越喜来小跡地向かいに開館。子どもたちの隠れ家ともなるよう、資材はすべて廃材を使った。
 建設にあたっては地元内外のボランティアらも協力。建物内には、津波襲来時の様子や震災前の越喜来地区の写真などが展示された。
 開館後も大学生をはじめとしたボランティアや住民らが多数訪れ、看板を取り付けたり、草刈りに汗を流すなど、その名前に込められた思いを具現化するかのように地元住民や内外のボランティアが集う場所となっていった。
 開館から約6年。被災跡地利用の一環として、同資料館の一帯でイチゴ農場を整備する計画が持ち上がった。震災廃材を使っていたため、移築はほぼ不可能だったことから、片山さんらは解体を決めた。

移設した旧越喜来小の非常階段を見る片山さん=同


 今年7月に資料を撤去。農場の整備計画が本格化するまで、建物はモニュメントとして残すこととしていたが、土地造成が本年度中に行われることになったため、10月ごろから片山さんが少しずつ解体を進めていた。
 解体後、片山さんの私有地に移設された旧越喜来小の非常階段は、旧校舎の2階から近くの市道をつないでいたもので、震災当日はこの階段を使って児童らが避難した。片山さんは「この非常階段のおかげで子どもたちが津波から逃げることができた。個人的には〝プラスの震災遺構〟だと思っているし、なんとか残したかった」と思いを語る。
 階段は、柱が4本ついた橋のような形状をしており、柱を乗せる土台には同資料館の廃材を使った。将来的には、階段の蹴上げ部分などにある空洞をふさいで屋根とし、周囲に壁を巡らせて小屋とする計画もある。その場合、同資料館にあった写真や資料などを屋内に展示するほか、外にはボランティアらが制作した看板なども取り付ける予定だ。
 非常階段の隣には、大船渡町にあった「理容室ニュー清水」の仮設店舗や、タレントのシェリーさんが建設資金を支援し、同資料館隣に建てられた「ラフラブハウス」も移築されている。ニュー清水の仮設店舗は「Bar(バー)・ばハウス オキライ」と名付けられ、旅行客が寝泊まりしたり、近隣住民が交流をあたためる場となっている。
 「(同資料館を)ずっと残すつもりはなかったが、復興の形が見えない時点で撤去するのは少しさみしい思いがした」という片山さんだが、「潮目というのは『形』ではなく『状態』あり、いろいろな人がかかわって、交流していく流れのこと。建物自体はなくなったが、この場所が新たな〝潮目〟になれば。この非常階段を中心に、自分たちができる範囲でいろいろと活動していきたい」と力を込めていた。