特集/―春告げる来訪神―  吉浜の奇習「スネカ」、気仙初・ユネスコ無形文化遺産登録決定

 大船渡市三陸町吉浜に伝わる奇習・スネカは11月29日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第13回政府間委員会で、他の7県9件の伝統行事とともに「来訪神:仮面・仮装の神々」として無形文化遺産に登録された。ユネスコ無形文化遺産登録は気仙で初めてで、地元関係者らは地域に守り継がれてきた風習を、このままの形で次世代につなげていく決意を新たにしている。

 

 毎年1月15日の小正月、ワラミノやアワビの殻を身にまとった恐ろしい風貌の異形の者が吉浜の家々を訪ね歩き、「悪い子ぁいねえがー」などと声を出しながら、子どもや怠け者をいさめる。
 「奇怪なもの」「えたいの知れないもの」とされるスネカは、小正月の夜に山から人里に下りてくるものとされる。一方で、里に春を告げ、五穀豊穣(ほうじょう)や豊漁をもたらす精霊ともいわれる。
 冬の間、足に赤いまだら模様の斑点ができるほど、いろりのそばで怠けている者のすねの皮を剥ぐという「スネカワタグリ」が語源とされ、江戸時代から約200年にわたって続いていると伝えられている。
 三陸町史によると、やがて春が訪れ、農業・漁業の季節もやってくるので、あらかじめ怠け者をいさめたり、豊作・豊漁祈願の意を込めて行うものという。
 また、秋田県男鹿半島に伝わるナマハゲのように、小正月に異形の者(仮装神人)が家々に訪れる行事は全国各地にあるが、本来は神が人間に祝福を与えるために来臨する行事を年頭に行うもので、これが戒告の形を取ったのがスネカだと記されている。
 かつては青年男子のほか、厄年に当たる者が厄落としのために行ったというが、現在ではスネカ保存会(柏﨑久喜会長)のメンバーや地元の吉浜中学校の生徒らが吉浜の約400世帯を回っている。
 ユネスコの無形文化遺産には「来訪神:仮面・仮装の神々」として、全国7県9件の来訪神行事とともに登録された。
 国は平成28年、国指定の重要無形民俗文化財である吉浜のスネカ、甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島県薩摩川内市、21年無形文化遺産登録)、男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市、23年無形文化遺産「情報照会」)、能登のアマメハギ(石川県輪島市、能登町)、宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)、遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)、米川の水かぶり(宮城県登米市)、見島のカセドリ(佐賀県佐賀市)の8件を、無形文化遺産への登録に向けてユネスコ事務局に提案。しかし、同年の審査は世界各国からの提案件数が上限を超えたため、1年繰り延べとなった。
 29年には、国が新たに国指定重要無形民俗文化財に指定した薩摩硫黄島のメンドン(鹿児島県三島村)と、悪石島のボゼ(同十島村)を加え、計8県10件のグループとして再提案。今年10月24日夜、ユネスコ無形文化遺産保護条約政府間委員会の評価機関による事前審査において、無形文化遺産への登録にあたる「記載」の勧告を受けていた。

 

 これまでの形で次世代へ/スネカ保存会副会長・岡崎 久弥さん(43)

 無形文化遺産への登録は名誉なことと思います。吉浜の風習が、秋田のナマハゲなど、いろいろな団体と一緒に登録していただき、うれしい半面、今後の保存会の活動方針や、後継者の育成も念頭に入れて活動を進めていかないといけないと考えています。
 今は、吉浜中学校の生徒たちがスネカの主体となっていますが、将来的に第一中学校と統合される予定なので、第一中と話し合いを進めていくつもりです。第一中の生徒の中には、立根町や猪川町の小正月行事に参加している人もいると聞くので、なんとかスネカにも協力してもらえるようにお願いしていこうと考えています。
 吉浜中の生徒たちには、毎年12月中旬に体育館で基本的な立ち回りや家に入ってからの一連の流れなどを指導しています。全校生徒が対象ですが、最近では3年生が下級生に教えてあげたりするので、われわれが教えることも少なくなってきました。スネカが中学生に根付いてきたと実感しています。
 生徒たちの中で、高校に進学してからもスネカに参加してくれる子がいるのはうれしいこと。将来、地元に残った人が跡を継いでくれればいいなと思います。
 これからは、成人の方たちを広く募集して、スネカに参加してもらうようにお願いしていきたいです。
 もう一つ課題となっているのが装束です。最近は越喜来の方にミノやコシミノを作っていただいていますが、装束の傷みは激しいので、それだけでは追いつかないのが実情です。課題は山積みですが、まずは保存会自体の継承を目標に頑張っていきたいと思っています。
 スネカは、年に1度の小正月行事。厄払いや、大漁・豊作を願うとともに、怠ける子どもたちをいさめ、子どもの成長を祈るのが趣旨です。今まで守り抜いてきた形で、これからも継承していかなければならないと考えています。

 

 住民が語るスネカへの思い

 

 地域の伝統守りたい/木村 爽太郎君(吉浜中3年)

 スネカには中学1年生から参加して、自宅のある千歳地区をまわっています。自分たちの地域に伝わってきた伝統行事が、無形文化遺産という大きな枠組みに入ることができたのを、とてもうれしく思います。
 12月の中ごろには、中学校にスネカの先生が来て、演じ方の指導をしてくれます。本番では、「手に持つ包丁はやいばではなく、峰を(人の方に)向ける」ことなど、先生が教えてくれたことに気を付けています。
 スネカのことは「怖い顔をした神様」と思っていますが、小さいころには、スネカに神様という印象は全くありませんでした。訪問した家で子どもが泣いているのを見ると、「昔は自分もこうだったな」と思い出します。
 次のスネカが中学生としては最後になるので、今までで一番怖いスネカを見せたいと思います。
 高校に進学した後は、地域の行事に携わりながら、吉浜の伝統を守っていきたいと考えています。

 

 吉浜の誇りと感じる/小松 星河君(吉浜小6年)

 1年生のころから、扇洞地区の子ども会で「ちびっこスネカ」を演じています。

小学生が扮(ふん)する「ちびっこスネカ」


 自分が小さい時のスネカは、怖くて何をされるかよく分からないものでした。ちびっこスネカに参加している時は、そのころを思い出して「泣くワラシはいねえが」とか怖い感じの大きな声を出したり、鼻の音にも気を付けています。
 (無形文化遺産への登録で)長年続いてきたことが有名になったので、吉浜の誇りという感じがします。これからも自分たちがこの行事を続けていって、もっとアピールしていきたいです。
 中学生になったらスネカに参加することになりますが、2年生の時に(大船渡第一中との統合が予定されており)学校がなくなるかもしれないので、そのあとどうなっていくのか分からないのが心配です。
 ちびっこスネカに参加するのは今年で最後なので、下の学年のお手本になるように、しっかり全力で演じるつもりです。

 

 小正月の夜が楽しみ/菊地 美智子さん(36)

 小さいころは、スネカといえば「絶望」しかありませんでした。小正月に、ちょっとしたごちそうを食べ、ゆっくりしているところにやってくる。お面だけでも怖いのに、びっくりしてこたつに潜り込んだところを追いかけてきたりと、怖がらせ方がすごかったです。
 スネカが来ると、親は笑いながら写真やビデオを撮っていましたが、自分が親になると、その気持ちが分かるようになりました。
 自分もですが、スネカの夜の後は、しばらくは子どもたちがおとなしくなります。今の子どもたちもそうで、自分の娘に「スネカが来るよ!」というと、言うことを聞いてくれます。ただ、トラウマになるとかわいそうなので、本当にここぞという時にしか使いません。
 スネカは子どもが健やかに育つことを願うものでもあるので、自分の子どももけがなく健康に過ごしてほしいと思います。
 大人になっても、小正月の夜はスネカが楽しみです。

 

図解スネカ

 

 

 

 顔…鬼とも神とも獣ともつかない異様な風貌。一つとして同じ顔はない

 

 ミノ・コシミノ…真っ黒な体を包む。以前は海藻を使ったものもあった

 

 腰にアワビの殻…左手でカチャカチャならし、相手を威嚇(?)これで木の扉を引っかくことも

 俵(カマス)…怠け者たちを入れて連れ去る。中から子どもの足がのぞくことも…

 

 キリハ…この包丁でスネの皮を剥いでしまうという

 足元…獣の皮が覆う。「藁の深靴を履くのが本来のスネカ」という説も

 

柏崎 榮氏「スネカ」
 三陸町老人クラブ発刊『さんりく昔がたり』
 昭和57年度版より一部抜粋

 山を下りて里へ来たスネカが、ゴオッゴオッと鼻をならしガリガリと戸を掻きたてる。音が烈しくなって、ガラリと戸が開き、腰を屈めたスネカが勢いよく飛び込んでくる。
 ……小さいこどもはお父さんにしがみつき、顔をお父さんの胸にうずめている。大きな子どもたちは、音を聞くと客間に逃げ込んでしまった。
 ……髪を振り乱し、鬼のような恐ろしい面を冠り……「カバネヤミァ、イネェガ」と鼻声をあげ、キリハを振り回して、臑の皮をはぎとろうとする。
 「オライニャ、カバネヤミァ、イネァガラ」とお婆さんが答える。さらにスネカは「ナグワラスァ、イネァガ」とまたすごむ。
 ……スネカは、うしろを見せないものだ。後ずさりしながら、餅を手にし、木口に来ると急に飛び出し、姿を隠した。戸は開いたままだ。