嘉納翁の書、陸前高田に/東京五輪前に大きな話題(別写真あり)
平成31年1月12日付 1面

明治時代、日本の「柔術」を「柔道」として体系立てた競技にし、柔道の総本山・講道館を創設したほか、大正元年(1912)のオリンピック初参加のため奮闘した「日本体育の父」こと嘉納治五郎(1860~1938)の書が、陸前高田市にある。柔道の始祖として、また教育者として歴史に名を残す嘉納翁は、1月にスタートした大河ドラマにも〝出演〟。その晩年近くの直筆は、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催を来年に控えた中、地元でも大きな話題を呼びそうだ。
「柔道の始祖」「日本体育の父」
嘉納翁の手による書「眞人無夢」を表具した掛け軸を持つのは、小友町の岩﨑健二さん(77)。
岩﨑さんは昭和45年、高田町に順道館岩﨑道場を開き、力ある選手を数多く輩出してきた柔道家。東日本大震災後は、米崎町に仮設道場を置いていた。
昨年「夢アリーナたかた」が完成し、市の道場が開設されたことを契機に看板を下ろし、48年間の歴史に幕を閉じたが、今も週3回、夢アリーナで市民らに柔道を教えるなど、後進の指導にあたりながら現役を貫く。
この掛け軸はもともと、東洋大時代の柔道の恩師・醍醐敏郎さんが所蔵していた。
醍醐さんは全日本選手権で2度の優勝経験があり、モントリオール五輪やロサンゼルス五輪では男子柔道競技の監督を務めた。最高位の十段を持ち、講道館では名だたる柔道家とともに「殿堂」に列せられる伝説的な選手だ。
掛け軸は、醍醐さんが昭和26年に全日本選手権で初優勝した際、当時の講道館長だった嘉納翁の次男・履正氏から贈られたものだったという。
岩﨑さんの後輩で、同じく醍醐さんの教え子である東京都の小林次雄さん(73)は「眞人無夢」について、「嘉納師範が造られた四字熟語ではないか」と指摘する。
小林さんによると、「『荘子』の中に『聖人無夢(せいじんむむ)』という言葉が登場し、「徳の優れた人物は心身が安らかで憂いがないことから、夢を見ない」という意味がある。『眞人』は『まことの道を極めた人』のこと。履正館長が醍醐先生を真の王者と認めての贈呈だったのでは」とする。
書には「帰一斎」の署名も。嘉納翁は年代によって雅号を変えていたといい、「帰一斎」は70代のころのもの。60代後半の書にも「帰壱斎章」などの印を使用していることはあるが、晩年である70代ごろの作品は少ないとされる。
岩崎さんによると、醍醐さんから昨年、この貴重な書を「譲りたい」と申し出があったという。岩﨑さんは「小林さんを通じてお話があったとき、『いただけない』とお断りした。あまりにも重みがあり、身に余る品。単純に喜べるものではないと思った」と語る。
一方、90代を過ぎた醍醐さんには、「まことの道」を継ぐものに書を受け取ってほしいという思いがあったとみられる。数多くいた大学の同輩たちの中で、今も柔道着を着ているのは岩﨑さん一人。「大学時代、醍醐先生から直接教えていただいたのはただ一度きり。雲の上の存在だった。ただ、これまでやめずに柔道を続けてきたという点を認めていただいたということなのかもしれない」と語る。
今季の大河ドラマ『いだてん』には、アジア初のIOC(国際オリンピック委員会)委員であり、日本の五輪初出場のために奮闘した人物として嘉納翁が登場する。演じるのは俳優の役所広司さんだ。
「現代の柔道における技と型についての理論を20代で構築した大天才が、嘉納治五郎という人」と、神を仰ぎ見るような表情で語る岩﨑さんも、番組での活躍を楽しみにしており、「こういう大人物がいたということを、この機会に広く知っていただければ」と話す。
掛け軸を見た同市柔道協会の及川満伸事務局長(55)は、「想像した以上に大きくて立派。こんな貴重なものが陸前高田にあるということが信じられない」と語り、岩﨑さんも「ご覧になりたいという人がいたら、お見せする機会を設けたい」としている。