20歳として復興に力を、成人式で610人の門出を祝福/気仙両市(別写真あり)
平成31年1月15日付 1面
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大船渡市と陸前高田市の「成人式」は13日、それぞれ行われた。今回は、平成10年4月2日から同11年4月1日までに生まれた大船渡市423人、陸前高田市187人の計610人が対象。7年10カ月前の東日本大震災発生当時、小学6年生だった新成人らは晴れ着やスーツ姿で式に出席。門出を祝福する家族や恩師、地域の先輩たちに、自らの成長と感謝の思いを伝え、20歳として地域の復興や発展に尽力していくことを誓った。
活気あるまちづくりのために/大船渡
冬の成人式は8回目となった大船渡市。会場のリアスホールには、新成人333人が振り袖やスーツ、羽織はかま姿で臨み、旧友らとの再会に笑顔をみせた。
式典は、新成人有志の実行委員会(欠畑甲子委員長)が進行。新成人たちは盛小学校児童らと市民歌を斉唱し、成人を迎える前に亡くなった同級生、震災の犠牲者らに黙とうをささげた。
戸田公明市長の式辞、熊谷昭浩市議会議長の祝辞に続き、実行委の小幡秀輝副委員長(20)=大船渡中卒、会社員=に戸田市長が記念品を贈呈。新成人代表2人が抱負を発表した。
欠畑委員長(19)=吉浜中卒、同=は「感謝の気持ちを思いやりの心に変えて大船渡に返し、社会人としての自覚と責任を持ち、立派な大人と認められるよう努力していきたい」と、菊地洋佑さん(20)=日頃市中卒、同=は「震災当時は小学6年生。震災で破壊され、復興していく大船渡をただ見ることしかできなかった。これからは大船渡の復興に携わり、活気あるまちづくりに尽力していきたい」と力を込めた。
式典前には、NPO法人三陸ボランティアダイバーズ代表理事の佐藤寛志氏が記念講演を行った。
今野葵さん(20)=第一中卒、中京大学2年=は「懐かしいメンバーと再会し、小中学校当時の思い出がよみがえってきた。今後は、みんなを巻き込んで笑顔にしていける存在になれれば」と話した。
震災では市内小中学生でただ一人、新成人らと同級生だった大船渡北小の松原啓太さんが犠牲となった。
松原さんと幼なじみの田中彩絵美さん(20)=大船渡中卒、岩手医科大学看護学部2年=は、スーツ姿の松原さんの遺影を抱いて出席。「生きていたら、一緒に参加したかった。啓太君が亡くなったことで、周りの人を大事にするようになるなど、成長できた部分もある。啓太君には、ありがとうと伝えたい」と、松原さんを優しく見つめた。
未来へ向け研さん誓う/陸前高田
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久々に再会した同級生たちと成人の祝いを喜び合った
陸前高田市の成人式は、高田町の市コミュニティホールで挙行された。8年前、小学校卒業直前に東日本大震災に見舞われた187人が新成人として晴れの日を迎え、式典では代表者が周囲の人々への感謝を口にするとともに、「陸前高田の役に立つ人間になりたい」と力強い決意を示した。
対象者のうち158人が出席。成人の誓いでは、鈴木悠大さん(20)=旧第一中卒、新潟大=と、加藤蘭さん(20)=高田東中卒、老人福祉施設職員=が登壇。鈴木さんは大震災が人生の大きなターニングポイントになったこと、大学では災害社会学を学んでいることなどを踏まえ、「ゆくゆくはこのまちのために働ける人材となりたい」と頼もしく語った。
加藤さんは周囲の立派な大人たちの姿を社会人として手本にしたいと語り、〝平成最後の成人式〟にあたって、「これから新しい年号となり、日本全体が未来に向かって活気づいていくと思う。私たちは陸前高田の未来の担い手として地域に貢献したい」と力を込めた。
式典に続き、成人式実行委員会(岡本瑞貴委員長)が記念行事を実施し、各中学校の担任らが寄せたビデオメッセージを上映。中学校時代の恩師らが登場するたび、生徒たちからは大きな歓声が上がった。
今年の成人者のうち、小友、米崎、広田の各中学校に入学した生徒たちは、3年時に「高田東中生」となって同校を初めて卒業したほか、横田中は平成28年、気仙中と第一中は30年にそれぞれ、現高田第一中との統合に伴い閉校した。
参加者は今はなくなってしまった学校の思い出を振り返ったり、童心に帰ったような表情で笑い、涙ぐんだりしながら、担任からの温かい言葉に耳を傾けた。
千葉一絵さん(20)=高田東中卒、産業能率大=は、「大きな震災があり10代は大変な時期でもあったが、高田東中になって生徒数が増えたこと、また大船渡高校に入ってからもたくさんの人と出会えたことが大きかった。地元で起業できるよう、いったん東京で就職し、必要な力を身につけてから帰ってきたい」と笑顔を見せた。