2019陸前高田市長選/立候補者の〝横顔〟(届け出順)

 27日に告示された陸前高田市長選は、届け出順に、3選を目指す現職の戸羽太氏(54)=高田町・無所属=と、新人で元県企画理事の紺野由夫氏(59)=横田町・同=が、2月3日(日)の投票日に向け各地で舌戦を展開している。平成32年度までの復興創生期間終了後も見据えた次期4年のかじ取り役はどちらになるのか。それぞれの市政にかける思いや意気込みとともに、候補者の横顔を紹介する。

 

戸 羽  太氏(54)無・現
人とのつながり武器に

 

 神奈川県の松田町出身。子ども時代、夏休みのほとんどを父の実家がある陸前高田で生活。高田松原で泳いだことが思い出深い。大人になり高田町の森の前地区に移り住んでからは、平成19年に副市長になったあとも七夕山車制作にかかわった。「地域のまとまりが強く、人情に厚いところが陸前高田の魅力」と語る。
 平成23年の市長就任直後、東日本大震災が発生。「あれもこれもしなきゃ」と思い詰めていたが、「あの時初めて、人に頼ってもいいんだと知った」という。「足りない部分は助けてくれる人がいる。いろんな知恵を持つ人や企業が『陸前高田のために』と力を分けてくれたからこそ、今のまちがあるのだと思う」。
 大学・企業との協働によるピーカンナッツ苗木栽培や陸上養殖への挑戦をはじめ、最近では、日経BP社と連携協定を締結し、人口減少や公共交通網の整備といった地域課題解決を目指す。民間企業による「農業テーマパーク」構想もある。
 震災をきっかけに縁が生まれた米国のクレセントシティとは昨年「姉妹都市」に。シンガポール共和国は東京オリンピック・パラリンピックの「ホストタウン」として親交を深める。「シンガポールはもちろん、海外にも特産品を売り込んでいく。クレセントシティのビール醸造所では、広田湾産カキを使ったビールをつくるといった話もある。互いの地域にあるものとないものを組み合わせるなど、意義深い関係に発展させたい」と意気込む。
 産業振興のうえでは、庁内改革も欠かせないと考えている。「たとえば農林水産部だと、米なら米をつくることには一生懸命になる。『ではそれをだれが売るんですか』となると、担当が商工観光課が担当だったりと、連携が難しかった。生産から販売まで一貫して担えるようにするなど、機構編成をしっかりやっていく」と見据え、「やる気ある職員にはどんどんアイデアを出し、前へ出てもらいたい」と語る。
 「風呂敷を広げすぎないよう、実現可能なことを言ってきたつもり」と、現職としての2期8年を振り返る。
 好きな言葉に金子みすずの詩『わたしと小鳥と鈴と』の一節「みんなちがって、みんないい」を挙げ、市長となってからは、だれもが役割を持って活躍できる「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」をスローガンに訴え続けてきた。
 「皆さんからずっと『意味が分からない』とおしかりを受けてきたし、今も『それが金になるのか』と言われる。だが、企業側が興味を持ってくれ、もっと障害者雇用を生もうという話をいただいたり、パラスポーツ、eスポーツ誘致などに結びついている。とにかく言い続けてきた結果だと思う」と手ごたえが強まっていることを感じている。
 長男は大学生、次男も今年、高校を卒業する。2人の息子を含め、「陸前高田の子どもたちはみんな『この地域の役に立つ人間になりたい』と言ってくれるが、あんまり『人のために』と思いすぎてほしくない」と〝親心〟をのぞかせる。「世の中にはいろんな職業があると知ってもらい、自分のやりたいことに突き進んでほしい」と語り、そのための起業誘致や起業しやすい環境づくりにも意欲を燃やす。

 

 

紺 野 由 夫氏(59)無・新
歩いて人々の心つかむ

 

 子どものころに川遊びや釣りを楽しんだ、なじみ深い清流・気仙川。「気仙川はもっと観光に活用できる」と語り、生まれ育った横田町と隣り合う住田町との連携も思い描く。
 互いに森林資源が豊富なまちでもある。間伐材を活用したバイオマス発電のほか、気仙スギという「材」と、気仙大工の「技」の〝合わせ技〟で、自ら首都圏に売り込みを図りたいという。
 かねて、特産品については「トップセールスが重要」と主張。県の農林水産部長時代、「金色の風」「銀河のしずく」といった県産ブランドの開発・市場投入に携わったという自負がある。「東京と大阪では売り方が違う。東京は推しすぎるとダメで、大阪はその逆。マーケットの特色を見極め、どうセールスすればいいか考える。大都市や関係機関にも足しげく通い、こちらを覚えてもらうことが大事だ」と強調する。
 陸前高田の強みと感じているのも、優れた農林水産物があること。ただし、「作るだけで満足せず、第2、第3の商品を生み出す不断の努力が求められる」という。
 その一環として、特産品によるメニュー開発を足掛かりとした「滞在型観光の推進」を掲げる。「このまちの魅力は〝食〟。素通りされないためにも、『陸前高田でしか食べられないもの』を提供したい」といい、ワインや日本酒といった地酒とのコラボレーションを考える。空き地が多い高田地区のかさ上げ部に、素泊まりの安価な宿泊施設を置くことも構想。「まずは1泊して、食事のためにまちへと繰り出してもらおう」と、にぎわい創出の流れをイメージする。
 自身の訴えの中で最も太い柱と考えるのは、産業振興。「企業・工場誘致はいの一番にと取り組みたい。進出を考えている企業に対し『来てください』と熱意を伝えること。何度でもお願いに通い、チャンスは確実にものにしていく」とこぶしを握る。
 何事においても基本とするのは、このように「自身の足を使って歩く」という姿勢だ。
 市民の声を拾うため、前哨戦で市内を歩いた総距離は約900㌔。この中で特に感動した出来事がある。「若い人が、漁業の重労働軽減のために取り組んでいることを見せてくれた。そういう方たちの意欲をもっと伸ばし、地方にいても活躍できるという環境をつくらねば。老若男女問わず、市民の〝底力〟をまちづくりに反映させたい」と力を込める。
 県庁に就職したのは、「人の役に立ちたいという気持ちが強かったからかな」。全国でさまざまな公害問題が噴出していた子ども時代、「社会をもっとよくする人になりたい」と感じたことが原点にあるという。

 自身の性格を「優柔〝決断〟」と分析。「柔らかく、いろんな可能性をよく考えつつ、責任をもって決断する」という意味を込めて使っている言葉だ。「決断には責任が伴う。リスキーなことに対しても恐れずしっかり決断したい」と語る。
 現在は実家で妻と両親の4人暮らし。長男と長女は独立したが、2年ほど前、難病だった次男を20代の若さで亡くした。「息子に『自分の分まで社会にお返しをして』と背中を押されたように感じた」と語り、古里・陸前高田の未来のために歩む決意を固める。