〝木の温もり〟教訓は、独自整備の木造仮設住宅/住田町

▲ 旧下有住小グラウンドに整備された中上団地

供与期間は残り1年
建設で得た〝財産〟どう生かすか

 

 東日本大震災で甚大な被害を受けた気仙両市に隣接する住田町はこれまで、後方支援の町として全国的に注目を浴び続けてきた。その大きな要因は、地域材や木材加工、地元建築関係者の総力を結集して完成させた独自の木造仮設住宅にある。両市の復興事業進展に伴い、利用者の入居は減り続け、供与期間も原則残り1年となった。被災者の〝巣立ち〟を温かく見守る一方で、全国的にも例がない英断で得た教訓を総括し、発信していく責務も増しつつある。今、浮かび上がる成果と課題を見つめ直したい。


現在は5分の1

 

 「今年は雪が少なくて、本当に助かった」。陸前高田市高田町で被災し、下有住の中上団地で暮らす50代の男性はこう語る。
 団地内が銀世界となれば、自宅前の道路などで雪かきをしなければならない。住宅は戸建てで整備されてはいるが、団地内の通路は住民の共用スペース。これまで、住民自治の中で対応してきた。
 町のまとめによると、同団地の今年2月末時点の入居者は12世帯24人(目的外入居を除く)で、ピーク時に比べると5分の1。さらに、荷物だけを置いている世帯も目立ち、住民からは「日常生活で利用しているのは10世帯を切るのでは。平日の日中は、本当に少ない」といった声が聞かれる。1月14日には、自治会組織が解散した。
 住宅は木造戸建て型で、風呂やトイレを完備。柱、床にはスギ板や集成材を活用し、プレハブ型と広さは同じだが、内部は木の温もりにあふれる。現在、妻と2人で暮らすこの男性は「最初は店や病院が遠くて不便さを感じたこともあったけど、今は慣れた。夫婦であれば、問題のない広さ。浴室以外は結露もなかった」と振り返る。
 今後は、息子たちと一緒に住むことを考えているという。住民が支え合うコミュニティーの動きが消えゆく中、残る世帯は静かに過ごし、来年3月末までに次の住まいに移る手段を模索している。


縮小の課題は

 

 団地内のコミュニティー形成は、直接的な被災自治体ではないからこその苦労もあった。陸前高田市内の各町から被災者が移り住んだほか、大船渡市や大槌町からも入居。こうした中、住田町や下有住地区の地域住民、社会福祉協議会に加え、震災後に立ち上がった邑サポートのメンバーらが精力的に支援を行ってきた。
 住田町建設課の田畑耕太郎さん(30)は昨年、入居者数の減少過程から浮かび上がった課題などをまとめた論文「仮設住宅団地の縮退プロセスと仮設住宅跡地の再利用の可能性」を発表した。平成27年春に採用された田畑さんは、維持管理といった営繕業務を担当するだけでなく、世田米の本町団地で3年間仮設暮らしを続けた。
 論文で指摘した一つが、共用部の維持管理。人数が減少するにつれ、夏場の草刈り、冬場の雪かきの負担が増す。ボランティアが整備した花壇維持も困難になっていった。
 また、団地内に5基設置している浄化槽の維持修繕費も挙げる。論文では「入居世帯が団地全域に分散しているため、使用する浄化槽を1カ所に集約することができず、常にすべての浄化槽を稼働させなければならない状況にある」と記し、不具合が生じた際の対応や判断の難しさなどに言及した。
 一方、入居者減少とともに増えた「余剰空間」の活用事例も紹介。畑づくりなど、より良い居住環境確保につながる動きにも着目した。
 退去した世帯も含め、住田町内に整備された仮設住宅での世帯分離は3団地合わせて10世帯。田畑さんは「ライフスタイルの異なる世代が、わずか30平方㍍足らずの仮設住宅に同居するのはやはり限界があり、空き室が増えるごとに世帯分離も許容され始めた。空き住戸を活用しつつ、異なる世代がほどよい距離感で暮らしていく、戸建ての仮設住宅ならではの知恵といえる」とまとめた。
 中上団地は、閉校した下有住小学校グラウンドに整備された。町有地ではあるが、学校施設は地域活動の拠点としての利用があり、住民の共有地ともいえる。
 田畑さんは入居者が減り、退去・撤去の時期も見え始めてきた中、共有地として再生する重要性にも言及。「7年の歳月の中で少しずつ失われた、その土地利用の主体を地域住民の手に再び戻していく努力が必要」とする。

 

建設当時と変わらず17戸が残る本町団地


何を残すのか

 

 こうした縮小に伴う課題は、木造仮設住宅を独断で整備した住田町だけの特殊事情だろうか。自然災害は、全国どこでも起こりうる。被害規模が大きくなれば、被災地から離れた場所に建設を余儀なくされるケースが出てくる。
 人口減少に伴う地域全体の〝縮小〟も深刻化し、残された住民がどう向き合うかは、喫緊の課題。木造仮設団地の変遷を丁寧に見つめ直すことは、住田町全体のみならず、過疎地域の行政運営やコミュニティー形成に生かされる。
 地域の未来を見据えるためにも、今も仮設住宅に暮らす人々が最後まで充実した生活を送るために、そこに暮らす住民や行政、地域、支援団体が何をすべきか。もう一度見つめ直す時期でもある。
 さらに、町内での仮設暮らしの実態や教訓をどう語り継いでいくかも、真剣に考えなければならない。例えば、世田米の本町団地は整備当時から1戸も撤去されず、訪れれば住民同士が顔を合わせながらはぐくんだコミュニティー形成の名残がある。団地全体の教訓を発信する視点も重視し、撤去や継承のあり方を考える必要がある。

 

再建した河野さんの自宅脇で再利用されている仮設住宅(右側)

 

利活用の現実は
26戸を撤去 〝愛着〟引き継ぎ再建も

 

 〝住田型〟木造仮設住宅の特徴に、建設当初から被災者入居を終えた後の再利用を見据えていた対応がある。世田米・火石(13戸)は、国道整備に伴い28年秋で入居が終わり、全戸が払い下げられた。同・本町(17戸)は建設当時のまま残り、下有住・中上(63戸)の13戸が再利用などのため撤去された。
 撤去された計26戸のうち、入居者や町内在住者、抽せんによる払い下げが各4戸。町外被災者への払い下げが5戸、被災地支援利用が7戸。さらに、共用スペース確保のために撤去し、燃料などとして利用されたのが2戸となっている。
 「この仮設住宅が、俺らの第一歩の家だったから。すべてがなくなって、この住宅からまた始まった。もらえるならほしいと思っていた」
 陸前高田市高田町の自宅が被災し、平成26年に下有住で自宅を再建した河野高慶さん(62)はこう語る。
 3年近く過ごした中上団地の仮設住宅1戸を、3万円で払い下げを受けた。自宅完成後に敷地内に再建し、現在は物置として利用する。
 大工である河野さんは解体時、どこの部材なのかメモや番号をつけるなど、工夫を重ねながら作業にあたった。「再利用する時に『ここの壁はいらないな』など、柔軟な対応ができる。間取りの自由度は高いと感じた」と振り返る。
 中上団地ではカラマツ材のくいが基礎だったが、河野さんは再建時、コンクリートで基礎を整備。さらに外壁材も貼り付けた。大工仕事だけでなく、専門業者に依頼しなければいけない作業もあった。解体や運搬のコストも考えれば、周囲からは「払い下げをしても、新築するのと費用はあまり変わらない」との声も聞かれる。
 町には昨年、西日本豪雨で甚大な被害を受けた岡山県の自治体から「(建築費用を少額に抑えたい)高齢者向けの恒久住宅として使えないか」といった電話も。鹿児島県の自治体からは、噴火被害を受けた際の応急住宅として「(部材をまとめた)キットがないのか」との問い合わせも寄せられた。
 実際に移築したことで見えてきた、再利用への教訓は何か。河野さんは「建材はペレットでの燃料利用も考えていたから、防腐剤処理をしなかったようだ。ただ、住宅や作業場所としての再利用を考えるならば、処理をした方がいいかもしれない。もらった時点で、傷んでいた部材もあった」と語る。
 中上団地からの移転・再建から3年以上が経過した今も、払い下げを受けて良かったと感じている。「この仮設だから、震災直後に心地よく暮らせた。入った人は、みんな欲しいと思うはず」と河野さん。一方、気仙両市の防災集団移転促進事業などで割り当てられた100坪の広さでは、自宅と一緒に建てる難しさもある。
 仮設住宅の再建に、河野さんは被災者を温かく迎え入れた仮設住宅の記憶を、下有住で残し続けたいとの思いも込める。「団地の建物は、いつかは取り壊してしまう時期が来る。住み心地が良かった記憶を、大事にしたい」と話す。

 

 

「隣接のまち」多様に受け入れた8年

 

 「森林・林業のまち」の特性を生かした住田町独自の仮設住宅は、発災13日目の平成23年3月24日に着工し、4月末から順次入居が始まった。震災前から、大規模災害に備えて町内業者らとともに試作研究を進めてきたノウハウが生かされた。
 建設場所は町有地で、上下水道との接続が容易な平地をリストアップ。世田米の火石団地13戸、本町団地17戸、下有住の中上団地63戸分の敷地を確保した。
 こうした仮設住宅以外でも、41世帯93人が親族や知人宅に身を寄せ、気仙両市との地縁・血縁の強さがうかがえる。空き室などを生かした「みなし仮設」も目立ったが、昨年でゼロになった。
 気仙両市での災害公営住宅整備や高台造成、区画整理事業などにより、仮設入居者は減少を続ける。空いた住宅では、公務員や地域おこし協力隊員らによる「目的外入居」も行われた。現在も、中上の3戸で利用がある。
 被災者の中には両市に戻るだけでなく、「住田で子育てを継続したい」といった意向から、町内定住の動きも。現在も仮設に暮らす世帯の今後に関しては、新築を行わずにペットとの同居を望む被災者や、住田をはじめ内陸部での定住希望、家族の通学・通勤の利便性など各世帯ごとに個別の事情を抱える。
 町は昨年4月、入居者に「供与期間は平成31年度末まで」との基本方針を説明。これまで行ってきた団地内のコミュニティー支援から入居者の住宅再建支援に移行する方針を示した。
 32年度以降も、土地区画整理事業の工期などの関係で退去できないといった特定延長対象者と同程度の状況がある場合は、入居を可能とする。ただ、その場合でも中上団地の供与は終了し、本町に集約するとしている。