安寧と平穏祈る 気仙両市で追悼式典 東日本大震災から8年(別写真あり)
平成31年3月12日付 1面

東日本大震災の発生から丸8年を迎えた11日、気仙両市で市主催による追悼式典が開かれた。大津波で甚大な被害を受けた市街地の再生や仮設住宅の解消が徐々に進む中、参列者らは犠牲となった人々の御霊(みたま)が安らかであるよう祈るとともに、残された人たちの心の平穏、まちと人が復興していくさまを見守っていてほしいと願い、花を手向けた。
復興と教訓伝承誓う 大船渡
津波で340人が犠牲となり、79人が今なお行方不明となっている大船渡市の追悼式は、盛町のリアスホールで開かれた。遺族ら約390人が参列し、犠牲となった家族や親族、友人らに深い鎮魂の祈りをささげるとともに、郷土の早期復興や震災教訓の伝承を誓った。
津波によって多くの尊い命が失われたあの日から8年。式は午後2時30分から大ホールで開かれ、ステージには「東日本大震災犠牲者之霊」の標柱をキクやユリで囲んだ祭壇が設けられた。
はじめに、政府主催による東日本大震災8周年追悼式の映像中継を放映。震災が発生した午後2時46分に参列者全員で1分間の黙とうをささげ、安倍晋三首相の式辞のあと、秋篠宮殿下のお言葉に耳を傾けた。
引き続き、市主催の追悼式に移り、戸田公明市長が犠牲者を悼みながら国内外からの多大な支援に感謝を示し「後世に震災の経験や教訓を語り継ぐ、災害に強いまちとして復興していくことが、今を生きる私たちの重要な使命。震災の爪痕は深く、復興までの道のりは決して平坦なものではない。尊い命の犠牲を忘れることなく、教訓を深く心に刻みながら、一丸となって復興を成し遂げんとする決意を持って全力を尽くしていく」と、早期復興への誓いを立てた。
「追悼のことば」では、安藤裕復興大臣政務官と達増拓也知事のメッセージを紹介。市議会の熊谷昭浩議長は、多方面にわたる支援に感謝を寄せながら、復興の早期完遂、復興の先を見据えたまちづくり、震災の教訓の伝承を誓った。
このあと、鎮魂の深い祈りに包まれた会場では、参列者が白いカーネーションを祭壇に手向けて静かに手を合わせ、亡き人たちに思いを寄せた。
津波で母親を失った大船渡市三陸町越喜来出身の中村美和子さん(55)=盛岡市在住=は、2人の子どもや姉夫婦と式に参列。「きょうは、越喜来の姉夫婦たちと会話しながら、亡くなった母を思い出す日。『元気にしてます』と近況報告しながら、地元の早期復興も願いました」と静かに語った。
猪川町の橋本妙子さん(46)は、震災で陸前高田市矢作町にあった夫の実家が全壊。「地震はまた来るかもしれない。そのときに向けて備えておくことを、伝えていきたい」と話していた。
この日は追悼式のあと、午後7時まで献花が行われ、雨が降る中、多くの人々が会場に足を運んで犠牲者の冥福を祈った。

犠牲者を悼む標柱の前に献花する参列者=陸前高田
子どもの未来に思いはせ 陸前高田
参列者から「〝涙雨〟になってしまって」といった会話が交わされる中、陸前高田市の追悼式典は、昨年オープンした市総合交流センター・夢アリーナたかたで開催された。強い風雨にもかかわらず、セレモニーには1000人余りの遺族と来賓らが参列。午前10時から午後6時までエントランスに設けられた一般献花台には、市民らが思い思いの時間に花束などを手にして訪れ、静かに手を合わせた。
大津波による直接死1557人、震災関連死を含めると県内最多となる1604人(平成30年9月末現在)が犠牲となり、今も202人の行方が分からない同市。追悼式典は、高田松原防潮堤や水平線を見晴らすことができる夢アリーナで行われた。
会場では、東京・国立劇場で挙行された国主催の追悼式典中継に合わせ、午後2時46分から1分間黙とう。国の追悼式に出席された秋篠宮殿下は、「困難な状況にある人々を誰一人取り残さず、復興の歩みが進展していくよう、末永く寄り添っていくことが大切」とお言葉を述べられた。
戸羽太市長は、高田松原津波復興祈念公園に国営の追悼施設が整備され、津波伝承館などからなる新・道の駅高田松原が今夏オープンすることについて「国内外に復興への強い意志を発信できるようになる」と述べたうえで、「住民の皆さまの〝心の復興〟にこそ重きを置き、よりよいまちづくりを目指す」と式辞。今も続く世界各地からの支援に改めて謝意を表した。
遺族代表のことばを述べたのは、大震災で母親を失った佐々木正也さん(44)=高田町。まちが劇的に変化し、復興へ向かっていることを実感しつつも、「大津波襲来時、一緒にいた母を守れなかった。救うことができたのではないか」と今も抱える強い悔恨の思いを吐露した。
佐々木さんは、自身の幼い息子が毎朝仏壇に向かい、「おはようございます」とあいさつしていると、亡き母に孫の成長を報告。「両親の優しさや思いを引き継ぎ、家族を大事にすることこそが恩返しだと思う」と述べた。
同市のNPO法人桜ライン311に所属し、津波到達地点にサクラを植樹している佐々木さんは、震災の記憶と経験のない子どもが増え、世界各地で自然災害が多発している中、「すべての人が災害でつらい思いをすることがないよう、教訓と備えの重要性を伝えていく」と決意をにじませ、「子どもたちにとって自慢の陸前高田となるよう、未来へ向けて歩み、子どもたちの未来を守るために、サクラを植え続けていく」としっかり前を向いた。