宥健法印の霊廟を開帳 閑董院で四百年祭 多くの参拝者でにぎわう 陸前高田(別写真、動画あり)

▲ 拝殿の奥にある六角堂が御開帳。内部の写真撮影は禁じられ、参拝者は神妙な面持ちで拝観しながら、かつてこの地を救った高僧をしのんだ

拝殿の奥にある六角堂

 陸前高田市矢作町の円城寺(榊原貴晶住職)の奥院にあたる「閑董院宥健尊師堂」(かんとういんゆうけんそんしどう)で25日、「四百年祭」が執り行われた。1600年代、疫病に苦しむ民衆を救うため自らが身代わりとなる誓願を立てて同町馬越の洞窟に入り、即身成仏した宥健法印の偉業に思いをはせ、参拝者は70年ぶりに開帳された霊廟に手を合わせた。
 同町馬越にある同尊師堂は優れた気仙大工の手によるもので、市の有形文化財にも指定される名建築。手前が拝殿である通称「四角堂」、その奥に「六角堂」がある。六角堂には円城寺を開基した真言宗の高僧・宥健の霊廟と、五輪塔が建つ。
 旧暦3月21日にあたる25日は、宥健入定から丸400年の遠忌。昭和24年以来初めて六角堂の御開帳が行われるとあって、朝から大勢の参拝者が訪れた。開帳前には榊原住職が護摩をたき、地域の女性たちによる御詠歌が堂内に響き渡った。
 参拝者らは、旧暦1月21日、3月21日、7月21日と、年3回行われている通常の「縁日」では足を踏み入れることができない拝殿の奥へと進み出て、開け放たれた六角堂内を拝観。大宇宙を構成する「地水火風空」の五つの要素を表した五輪塔を拝み、その奥の墓に手を合わせた。また、四角堂では皆で輪になって大きな数珠を回し、念仏を唱える「数珠回」しも行われ、訪れた人がその場で加わって仏さまの加護を願った。
 この日は朝から〝涙雨〟が降り続いていたが、開帳が始まるころには雨も上がり、参拝者の中には名勝「白糸の滝」をはじめ、付近を散策する人たちの姿も。ヤマザクラと萌え出したばかりの新緑が霞に煙る周辺の風景も楽しみながら、参拝者たちは「父親が大工で、お堂の屋根の修復に携わった」「初めて来たけれど、なんだかじーんとした」などと口々に話していた。 
 また、閑董院の〝お膝元〟である馬越地区の住民たちは例年、縁日前に必ず草刈りや掃除などを行い、参拝者たちを迎える用意をしている。同地区の女性たちは同日も恒例の手打ちそばを販売。いつも以上に多くのそばを用意したが、午前中に持ち帰り用は売り切れ、小屋の中では温かいそばをすする人たちでにぎわった。
 同地区在住の総代長・菊池富雄さん(86)は、自身が旧盛農学校に通っていた70年前に三百三十年祭が執り行われ、御開帳が行われたことを覚えているといい、「あのころは矢作の駅からここまで、足の踏み場もないぐらい参拝者が訪れた」と振り返る。
 菊池さんは「閑董院さまは私たちの誇り。今年は近年ないほどの人出になった。世界的にいろんな事件や災害が起きている時代だからこそ、改めて閑董院さまのご利益が見直されるのでは」と話していた。