語り継ぐ「あの日」③ 新沼 真弓さん(46)

困難乗り越える力を
防災士として教訓伝える

 

 「子どもたちに防災、減災の大切さを伝え、困難を乗り越える力を身に付けてほしい」。大船渡市大船渡町の新沼真弓さん(46)は東日本大震災後、そんな思いから防災士の資格を取得。米崎リンゴを使った非常・健康食の製造も手がけ、震災の教訓を伝えている。
 震災前、気仙管内の中学校で相談員を務めていた新沼さん。8年2カ月前の3月11日は仕事が休みで、同町内の自宅にいた。大きな揺れを経験したあと、小学1年の長男が心配になり、徒歩で大船渡小学校へ向かった。
 校庭では、児童たちが避難の準備をしていた。間もなくして津波が襲来し、新沼さんは子どもたちと高台の大船渡中学校へ避難。自宅は被災を免れたが道路ががれきに覆われて戻れず、家族と会えずに不安げな表情を見せる子どもたちのそばにいたいと、中学校で一晩を過ごした。
 震災後も、相談員を続けた。当時は、「こんなに大きな災害は、しばらく来ないだろう」という気持ちもあった。
 発災から1年がたったころ、夫が勤務する福祉施設を親子で訪れた際、長男が一人の高齢者から声をかけられた。「津波はおっかながったべ。でも、覚えておがいよ」。
 当時、長男は地震や津波の恐怖からやっと落ち着いたばかり。反感も抱いたが、その出来事が新沼さんにとって災害、防災と向きあうきっかけとなった。
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 中学校で過ごしたあの晩は、食べ物も飲み水も不足し、脱水症状になりかけた子どももいた。避難所で過ごした友人からは、おにぎりやパンだけの食生活で体調を崩しがちだったと耳にした。
 「津波からせっかく助かった命。いざというときに食べられる栄養のあるもの、非常食の必要性を感じた」と新沼さん。震災で経験した食の教訓も伝えたいと考える中で思い浮かんだのが、かつて祖母が生産していたリンゴだった。
 平成26年、陸前高田市竹駒町に事業所「乾燥フルーツComeCome(かむかむ)」を設立。スライスした米崎リンゴを乾燥させ、チップとして商品化。常備可能な健康食としても認知されるようになった。
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 その後、「子どもたちに防災、減災を伝えたい」と思うようになった新沼さん。気仙の災害、地域の特性を調べていく中で行き着いたのが「防災士」だった。
 防災士は、認定特定非営利活動法人・日本防災士機構の認証制度。自助、共助、協働を原則に、防災力を高める活動に十分な意識と一定の知識・技能を修得することで、認証される。
 「それまで、防災士の存在は知らなかった。防災士のネットワークの中で、私自身が学びを深められればと思った」と、一念発起。同年12月に認証を受けた。
 その後も、必要な知識や技術を身に付けた。こうした学びを伝えたいと思う一方、「被災を免れた自分が震災のこと、防災や減災を言える立場ではない」という葛藤もあり、すぐに行動に移すことはできなかった。
 しかし、震災から年月がたち、〝あの日〟を知らない子どもたちが生まれ、当時は学生だった世代が親の立場になった。全国各地では、地震や豪雨などの災害が頻発。「伝えることをためらっている場合じゃない」と、防災士の活動に力を入れるようになった。
 新沼さんが講師を務める防災ワークショップでは、ポリ袋を使った調理方法、新聞紙やダンボール箱を材料にした生活用品の作り方などを、体験を交えて紹介している。
 新聞紙で食器やスリッパを作る参加者らに、新沼さんはあえて、「作り方は覚えないでほしい」と呼びかける。その理由を、「発災当時、私の思考回路は止まってしまい、冷静な判断ができなかった。『こうじゃなきゃだめ』と覚えてしまうと、どうしてもこだわってしまう。災害時だからこそ、柔軟に考える必要がある」と話す。
 伝え方にも工夫を凝らす。「例えば、新聞の食器作りならば『頭を使うので〝脳トレ〟になりますよ』、ポリ袋の調理ならば使う食器が少ないので、『後片付けが楽ですよ』などと呼びかけると、皆さんの関心が高くなる。日常でも役立つようにして、防災、減災を伝えていくのも大事だと思う」と考えている。
 主婦、母親としての目線を大切にし、防災士の活動を進める新沼さん。一般社団法人も立ち上げ、今後は福祉分野での展開も視野に入れる。「子どもたちが災害に遭ったとき、もしかしたらそばにいられないかもしれない。その時にどう考えて切り抜け、命を守っていくかを伝えていきたい」。その思いが、活動の原動力だ。  

(月1回掲載)