紙芝居で由来伝える 「閑董院さま」の歴史 矢作町の尊師堂で上演 陸前高田(別写真あり)
令和元年5月17日付 7面

陸前高田市矢作町の円城寺(榊原貴晶住職)の奥院にあたる同町馬越の閑董院宥健尊師堂で14日、閑董院の由来を伝える紙芝居の上演が行われた。高田町和野地区の住民らが榊原住職による語りに耳を傾け、市民にも知られざる同市の歴史の一端を学ぶ機会とした。
高田町の住民らが鑑賞
閑董院宥健尊師堂は、円城寺を開基した真言宗の高僧で、地元では「閑董院さま」と呼ばれている宥健法印(1558〜1620年)の遺徳をしのんで建立された古刹。現在のお堂は明治時代に再建されたもので、龍、鳳凰、唐獅子などで飾られた総ケヤキ造りの建物は、市の有形文化財にも指定されている。
この日は、高田町のNPO法人・りくカフェが「タケダ・いのちとくらし再生プログラム」の助成を受けて企画した〝遠足〟の一環で、同町の災害公営住宅下和野団地と和野地区の住民ら約20人が同院を訪問。堂内見学のあと、榊原住職がお堂前で宥健法印にまつわる紙芝居を披露した。
物語は、宥健法印が陸前高田の地を訪れ、そのころ大流行していた疫病を鎮めるため五穀を絶って馬越の岩洞に入り、祈とうを続け入定したという伝承に沿った内容。民衆の苦しみを救おうと命を賭した高僧を多くの人々がしのび、深い感謝とともにお堂が建てられたことを伝える。
お話の最後、参加者は榊原住職が詠じた「閑董院宥健尊師一代和讃」に合わせて合掌。住職が「今のお堂が建てられる際には、気仙沼の大谷や住田の有住、三陸町などからもご寄進があったほど、あつい信仰が寄せられていた。ぜひ皆さんのご家族にも閑董院さまのお話を伝えていただき、縁日にもお参りいただければ」と締めくくると、参加者からは「今までこういう話があったことを知らなかった。聞けてよかった」といった声が上がった。
この紙芝居は以前、矢作町にあった二又保育所の職員が製作し、保育所に通う子どもたちに話して聞かせていたもの。同保育所は閉所したが、関係者が作品を保管しており、2年ほど前に同寺へ譲られた。
同町ではかつて、小学校でも同院にまつわる物語が学習発表会の劇で上演されたり、中学生が調べ学習などでたびたび取り上げていたというが、学校統合などによってそうした機会も減ってしまったという。
今回、初めて紙芝居を披露した榊原住職は、「閑董院さまの由来を誰にでもわかりやすく伝えるために、紙芝居があるといいなあという話をしたところ、こういうものがあると教えられ、関係者の方が譲ってくださった。なかなか皆さまにお聞かせする機会がなかったが、きょうは喜んでいただけたようでよかった」といい、古里の歴史の一端を担う逸話が広く知られるよう願っていた。