平重盛がつなぐ縁に光 「友好の証」交換し後世へ 気仙と法樂寺(大阪)有志
令和元年5月19日付 1面

900年の時を越え、気仙と大阪との結びつきに光がさす歴史的ロマン──。平清盛の長男・重盛が建立した大阪府大阪市の法樂寺(小松光昭住職)と、同寺創建ゆかりの地とされる陸前高田市の玉山金山との縁を後世に伝えようと、有志による〝友好の証〟の交換が行われた。同寺からは重盛が手植えした老木由来のアカマツを竹駒神社に、気仙からは玉山金山跡の岩石とツバキの木を同寺に奉納。双方の関係者は「このつながりを大事にしたい」と熱を込める。
玉山金山の黄金きっかけに
法樂寺は治承2年(1178)に創建。重盛が宋(現・中国)の育王山に黄金を献上し、その返礼として宋の高僧から贈られた仏舎利(釈迦の遺骨)をまつるために建てたとされる。
その「黄金」こそ、当時重盛が荘園に持っていた玉山金山で産出されたものと伝えられている。これらの歴史は『平家物語』や『源平盛衰記』、江戸期に仙台藩鉱山行政を担う「御金山下代(おかねやまげだい)」を代々世襲した旧今泉村・松坂家の古文書に記され、近年、仏舎利が寺宝として同寺に所蔵されていることも分かった。
重盛がつないだ気仙産金と同寺の縁をさらに深めようと、今年3月、寺関係者が交流事業に乗り出した。同寺の小松庸祐上院(77)が呼びかけ、気仙町出身で松坂家第12代当主の定德さん(86)=大阪府堺市=ら約20人を発起人に奉賛会を結成した。
これに呼応し、気仙側は玉山金山跡を管理する竹駒牧野採草地農業協同組合、竹駒神社、竹駒地区コミュニティ推進協議会、竹駒21の会、気仙歴史文化研究会などの関係者らで奉賛会を旗揚げした。
気仙から贈る玉山金山跡の岩石は重さ4・7㌧、1・2㌧の二つ。ヤブツバキ2本は、前大船渡市長で、同研究会の甘竹勝郎会長(75)が地元の㈲阿部造園、世界の椿館・碁石協力のもと手配した。
今月16日、岩石とツバキを仮置きしていた小友町の㈱遠藤石材で、大阪に送り出す出発式が行われ、関係者ら約20人が出席。ちょうど同寺からの枝垂れ性のアカマツ「天目松」も同社に届き、両奉賛会の友好の証が〝そろい踏み〟し、小松上院も駆けつけた。
甘竹会長は「小松上院をはじめ関係者の熱意と執念があったからこそ交流が実現した」と感謝し、「法樂寺と縁があったという歴史は、大事にしていかなければいけない。大岩とツバキ、そして法樂寺の松が友好のシンボルとなり、また気仙産金の歴史の価値も広まってほしい」と期待した。
定德さんのいことで、同寺との橋渡し役となった同研究会の松坂泰盛副会長(74)=気仙町=は「竹駒のコミセンをはじめ、地元の方々の協力無くして進まなかった。当初は予想していないほどの大事業となり、壮大なロマンを感じている」と感無量の様子だった。
小松上院は「わずか2カ月で形となり、気仙の皆さんには感謝しかない。東北被災地には心の支援が必要。この大岩とツバキを大阪の人たちが目にすることで、陸前高田、気仙に思いを寄せる人が増えれば震災の風化防止にもつながる」と喜んだ。
天目松は20日以降、竹駒神社境内に植える予定。同寺では28日(火)、岩石とツバキを迎える式典が挙行される。