岩手・宮城の黄金文化に光 陸前高田を含む2市3町が申請〝みちのくの金〟日本遺産に

▲ 「千人坑」など玉山金山にまつわる遺構や、寺社、文化財等を含む、岩手・宮城の黄金文化が日本遺産に認定された

 文化庁は20日、陸前高田市と平泉町、宮城県涌谷町、気仙沼市、南三陸町の2市3町の〝金〟にまつわる歴史・文化がまとめられた「みちのくGOLD浪漫―黄金の国ジパング、産金のはじまりの地をたどる―」を、「日本遺産」に認定した。奈良時代、日本で初めて金が産出された陸奥国──〝みちのく〟の黄金と、これらにまつわる自然遺産、史跡、文化財などに裏打ちされる「ストーリー」の価値が一体的に認められたもので、本県における認定は初。5市町は今後、官民による推進協議会を立ち上げ、周遊ルートの策定など広域での観光受け入れ体制も整えていきたいとしている。

 

広域の歴史「物語」で発信、認定は本県初

 

 「日本遺産」は、複数の地域にまたがるような歴史、風土、有形・無形の文化財などをテーマでまとめ、それらが人々に語りかけてくる「ストーリー」を認定する制度。「世界遺産」や、「国宝」「重要文化財」の指定のように、文化財の保護を主な目的に価値づけを行うものとは異なり、魅力ある歴史と伝統文化を〝面〟で伝え、地域活性化を後押しする狙いもある。
 宮城北部の涌谷をはじめ、南三陸、気仙沼、岩手最南端の陸前高田は、時の為政者たちを支えてきた産金地。涌谷の金は「奈良の大仏」として知られる東大寺廬舎那仏の鍍金に使われ、平泉にある国宝「中尊寺金色堂」に用いられたのも気仙沼や南三陸で採れた砂金だった。
 陸前高田では江戸時代、伊達政宗による金山開発が進められ、現在の竹駒町に位置する「玉山金山」から採掘された金が、仙台藩の財政を支えたとされる。
 今も玉山の山中には精錬所や検問所の跡、千人坑などが点在。一方、金山の衰退を背景に神社が遷座されたり、鉱夫の生活を支えるため新たに田畑が開拓されたことを示す碑があるなど、金山にまつわる〝栄枯盛衰〟を知る手がかりが数多く残されている。
 日本遺産登録に向けた申請は、最も古い産金の歴史を持つ涌谷が中心となり、気仙沼、平泉、陸前高田の2市2町で平成28年度に初挑戦。しかしこの時は個々の文化財の説明に終始してしまったといい、「物語性が希薄」などとして〝落選〟した。
 29年度はここに南三陸町も加わり再度チャレンジ。「みちのくGOLDろまんツーリズム」と銘打ち、観光も意識したストーリー展開を練り上げ、最終ヒアリングまで残ったものの、認定には至らなかった。
 5市町の担当者らはその後、毎月涌谷に集まり「ストーリー」を再構築。各地の文化財や史跡にも足を運び、砂金採りから金山開発、金鉱山の隆盛・衰退と、1250年にわたる「みちのくの金」と風土との結びつき、産金地の人々の思いに至るまで見直したうえ、史跡等の回遊性などについても問題提起し合ってきたという。
 こうして練り直されたストーリーは、▽〜はじまりは一粒の〝砂金〟から〜▽《奥州・平泉》皆金色の理想郷▽《黄金山産金遺跡》日本の〝金〟発祥の聖地▽《玉山金山》金山採掘の栄枯盛衰▽《鹿折金山・大谷鉱山》日本のゴールドラッシュの一翼を担った近代鉱山▽〜花咲け〝みちのくGOLD〟浪漫〜──と、時代順に6段階で構成されている。
 各段階の物語にひもづく文化財は、計42件。このうち陸前高田は三つのストーリーに12件の名勝や史跡が盛り込まれた。広域にわたる産金の歴史を「一本の流れ」として分かりやすく伝え、古代から続く金文化のロマンを感じさせる内容が評価され、〝三度目の正直〟で今回の認定となった。 
 認定先に対しては3年間、案内板設置や案内ボランティア養成などに活用できる国からの補助金が交付される。2市3町は今後、民間を交えた協議会の発足を予定。パンフレットの作成や周遊ルートの考案なども検討していく考えだ。
 陸前高田市観光交流課の北島善太郎主事(28)は「認定されたあと、それをどう発信していくかこそが大事だと聞いている。補助金を活用し、今後しっかり土台づくりをしていきたい」とする。
 申請に携わってきた市教委文化財係の曳地隆元学芸員(43)も、「認定は〝きっかけ〟でしかない。これからは自治体のみならず地域の方々と盛り上げていくことが重要。各市町の担当者たちの情熱が、住民にも波及していけば」といい、日本遺産に対する市民の誇り(シビックプライド)の醸成も欠かせないとする。
 また、日本遺産の構成文化財の中には、三陸ジオパークの「ジオサイト」なども含まれることから、曳地学芸員は「金に限らず、陸前高田の歴史を〝面〟でPRすることにもつながる。(申請にかかる活動により)広域連携の足がかりもできたので、ほかの部分でも協力し合っていければ」と、多角的な取り組みも見据える。