空き家と遊休農地 第2部 再生して見えたもの1

▲ 移り住んだ自宅の敷地内にハウスをつくった平林さん

持続可能な〝複業〟へ 将来を見据えた模索 

 

 気仙にとって平成の30年余りは、人材資源の縮小が進み続けたといっても過言ではない。住田町の人口は約3000人減の5000人台となり、特に産業や地域活動を支える生産人口がしぼんだ。これに伴い、空き家と遊休農地が増加。平成に顕在化した地域課題を乗り越えた先には、何が見えるのか。自らが生きるために農地を再生し、空き家に移り住んだ若者、施策を模索する行政組織の足跡などに再び光を当て、令和にあるべき住田を考えたい。(佐藤壮、随時掲載)

 

野菜苗育てるハウスも整備

 

 かつては空き家だった住宅で、家族の営みが再び始まり、1年が過ぎた。建物の外観自体に、目立った変化はない。しかし、周囲の環境に生活感と潤いがもたらされた。
 玄関前にはワンボックスタイプの乗用車や子ども用自転車が並び、倉庫のそばには農機具がある。さらに、自宅を囲むように広がっていた遊休農地が、畑として生かされていた。
 地域おこし協力隊として、平成29年4月に赴任した平林慧遠さん(33)。下有住地区公民館にほど近い築50年以上が経過した一軒家を借り、自ら台所のフローリングを張り替えるなど改修を重ねた。昨年4月から夫婦と娘2人の計4人が生活する。
 今年3月、自宅脇に自らで野菜苗を育てるハウスを構えた。地元の製材所や量販店から木材を確保し、入り口部分は自宅内で使っていない戸を持ってきた。
 空き家を借りる前までは、平林さんは同公民館に隣接する木造仮設住宅に暮らし、妻や娘は大船渡で生活。当時から、上有住の遊休農地0・2㌶を借りていた。一軒家に移ってからの1年で、扱う農地は1・2㌶に増加した。
 家族で移り住むと、地域住民から使わずにいる農地の紹介が舞い込んだ。しかも、自宅の近隣が多い。地域おこし隊の仕事に加え、公民館や交通指導隊員を引き受けても、野菜に手をかけることができた。
 「大きな不自由もなく、ここまで来ることができたのは、やはり地域のおかげ。家族で住む場所を整えたということが、大きいんだと思う」。空き家と、遊休農地の利活用。その両方を進めた1年は、平林さんにとって充実したものだった。


林業との組み合わせを

 

 農地利用は基本的に、大規模な設備導入を必要としない野菜の露地栽培が中心。「遊休農地を使った露地栽培でこのぐらいの規模って、町内でもあまりいないのでは」と笑う。
 あくまでも今は地域おこし協力隊員であり、農業者向けの専門的な融資を受けることは難しい。昨年は野菜の売り上げの大半を、次の生産にあてる〝自転車操業〟が続いた。協力隊員としての収入がなければ、生活は成り立たなかった。
 露地栽培はどうしても、収穫期と閑散期が出てくる。なりわいとし、雇用を生み出すには、もっと多くの農地が必要になる。
 今年2月、林業施業者を増やす「山守育成プロジェクト」を立ち上げた。自身も、比較的小規模の作業を担う林業に携わっていきたいと考える。
 「もっと広い農地を確保するか、別の仕事を組み合わせるか。自分ができることを探った結果」。平林さんは持続可能な家族生活を見据え、住田の地域資源を生かした仕事づくりを模索し続ける。