玉山金山との縁を形に 荘厳寺(竹駒町)に仏塔 陸前高田

▲ 荘厳寺に奉納された仏舎利塔

 陸前高田市竹駒町の功徳山・荘厳寺(三宮憲定住職)に、大阪府大阪市の法樂寺(小松光昭住職)から、中国古来の製法で彫られた木製の仏塔が贈られた。法樂寺ゆかりの地・玉山金山との縁を後世に伝えようと寄せられたもの。同山の繁栄、平穏無事などを願い建立された荘厳寺に奉納され、つながりを知らせる「証し」として丁重に保管する。

 

法樂寺(大阪市)が寄贈

 

 法樂寺は治承2年(1178)、平清盛の長男・重盛が創建。当時、重盛が荘園に持っていた玉山金山の黄金を宋(中国)の育王山阿育王寺に献納し、その返礼として宋の高僧から贈られた仏舎利(釈迦の遺骨)をまつるために建てたと伝えられている。
 法樂寺と玉山金山との縁を形に残そうと、今年3月、同寺と気仙双方の有志が交流事業に乗り出した。同寺からは重盛が境内に手植えしたとされる老木由来のアカマツを、気仙からは玉山金山跡の岩とヤブツバキを贈り合うこととし、5月にそれぞれ奉納を済ませた。
 法樂寺が、アカマツとは別に気仙との「友好の証し」として用意したのが仏塔。5月7日、一連の事業を企画した同寺の小松庸祐上院(78)が持参し、陸前高田市を訪問。仏塔を受け取った気仙側有志は、かつて玉山金山に建てられた荘厳寺におさめることを決めた。
 仏塔の大きさは14㌢四方、高さ42㌢。荘厳寺本堂の本尊脇に並ぶ位牌(いはい)とともに安置している。
 法樂寺によると、仏塔は中国・育王山にある舎利殿を模した小塔。小松上院が平成6年にネパールの古都を訪れた際、現地の工房で彫ってもらったもので、法樂寺にも同じ仏塔を保管している。
 荘厳寺は慶長2年(1597)、伊達藩の藩命により鉱山行政・開発管理を指導する「御金山下代(おかねやまげだい)」筆頭役に任ぜられた松坂家初代当主・徳右衛門定久が、玉山金山にあった自宅そばに創建。金山の衰退を背景に、元禄2年(1689)に現在地に移築したとされる。
 平成26年1月、火災で本堂や庫裏などが全焼したが、28年に再建を果たした。境内にある同寺シンボルのマツの木「返り松」は、今年5月に認定された文化庁の日本遺産「みちのくGOLD浪漫―黄金の国ジパング、産金のはじまりの地をたどる―」の構成文化財ともなっている。
 大坂幹夫総代(68)は「法樂寺とのつながりを伝えるものとしても大変価値のあるもの。この縁を檀家の皆さんにも伝えていきたい。『返り松』も日本遺産のストーリーに加えられ、明るい話題が続いた」と喜ぶ。
 小松上院は「仏塔は、玉山金山の金が中国に渡っていたという伝承の証しともなる。『つながっていた』ということを多くの人に知ってもらうきっかけになれば」と願っていた。