防災意識の広がり 着実に 地域版防災士養成講座に児童・生徒の姿も 陸前高田

▲ 陸前高田市の防災マイスター養成講座を受講する多恵さんと祐一さん

 東日本大震災の発生から、きょうで8年4カ月。時間の経過とともに震災記憶の風化が懸念される一方、日本各地では毎年のように、日常の暮らしが脅かされる規模の自然災害が発生し、津波だけにとらわれない防災のあり方を改めて見直す重要性が増している。こうした中、陸前高田市が昨年度から実施している自治体版防災士「防災マイスター」の養成講座には、児童・生徒や青年層といった若い世代の姿も目立ち、防災への意識が着実に広がっていることを感じさせる。

 

発災から8年4カ月

 

 本県で唯一、自治体版防災士として独自の養成講座を開催する同市。昨年に続き今年も5~12月にかけて毎月1回、気象や避難情報に関する基礎知識、災害時の行動心理、適切な栄養補給などについて、その道のトップレベルの専門家らから教わるほか、避難所運営のあり方をゲームで学んだり、防災施設の見学、救命講習といった実践的なカリキュラムが組まれる。
 本年度は市民ら27人が参加。受講者の顔ぶれには高校生も見られる中、特に目立つのは米崎小学校3年の米沢多恵さん(8)の存在だ。
 父の祐一さん(52)とともに参加し、大人たちと肩を並べる多恵さんは、平成23年2月生まれ。誕生から約1カ月で大震災が発生した。
 あの日、祐一さんは高田町にあった米沢商会の屋上でからくも巨大津波を逃れたが、一緒に働いていた両親と弟は避難先で犠牲となった。祐一さんは3階建ての自社ビルを震災遺構として保存することを決め、〝物言わぬ語り部〟とともに、来訪者らに津波の脅威について伝え続けている。
 祐一さんが一番にその教訓を語り聞かせてきた相手は多恵さんだ。毎年3月11日には親子で一緒にビルに上がる。津波の記憶がない娘に「津波は怖いものだ。大きな地震が来たら、すぐ高いところへ逃げるんだ」と、命を守る行動を何度も繰り返し伝えてきた。
 祐一さんは昨年度の養成講座でマイスター資格を取得。ビルの見学者を案内し、語りを務めるにあたって、専門的な防災知識を身に付けておきたいと考えたからだ。月1回の開講日、必ず米沢さんに同行していた多恵さんは、父がマイスター認定を受けたのを見て「私もなりたい」と志願。本年度は正式に受講生となった。
 「(防災無線等で)『警戒レベル3』と言われたら、高齢者の人たちが避難を始める。『警戒レベル4』は、みんな逃げなきゃいけないという意味」。
 講座で教わった内容をすらすらと話す多恵さんに、祐一さんは「ちゃんと聞いているんだね」と驚きつつ、うれしそうな表情を見せる。
 講座は小学校の授業よりずっと長い、1コマ75分間。まだ難しい話題も多いが、「お父さんと一緒だから大丈夫」と多恵さん。「『こうすれば命を助けられる』とか知りたいし、何かあったときに行動できたり、人助けしたりできるようになりたいから」。幼い時から父に伝えられてきたことの意味を、しっかり自分の中に落とし込んでいる。
 将来の夢は「お天気お姉さん(気象予報士)」。同時に、震災語り部としての祐一さんの役割も引き継ぎたいという多恵さんは「マイスターになったら、友達にも教えたりしたい」と、はにかみながらきっぱりと語った。

 

 

 同市のNPO法人きらりんきっず代表で、母子のための防災活動などにも力を入れる伊藤昌子さん(51)と、大船渡高校2年の駿佑君(16)親子も同講座の受講生。伊藤さんは、「『日曜日、何もしないで家にいるだけなら行ってみない?』と息子に声をかけたら来てくれた。高校の授業だけでは学べないことだし、進学の役にも立つよと言ったのがきいたのかな」と笑い、「関心を持って一緒に参加してくれたことがうれしい」と話す。
 養成講座の開催は月1回。1回当たり3時間、8回にわたって行われ、認定証は全15単位のうち9単位以上取得しなければ授与されない。一方、昨年度は地元の中高生を含む41人が認定を受け、その後、市の防災出前講座の講師としてのボランティア登録を募ったところ20人以上が同意した。「同世代に伝えるのは私たちの役目」と、マイスターとなった中学生が学校で防災講座を開いたこともある。
 市防災課の中村吉雄課長は、「期待以上の成果で驚いている」といい、「2、3回の研修で簡単に取得できるものではない分、認定者の意識は高い」と分析する。
 中村課長は「防災講座なども、市職員ではなく認定者が担っていくことで、周囲にもいい影響が波及する。それが本来の〝共助〟の形ではないか。限られた人だけが防災について考えるというのではなく、『誰もがリーダーになりえる』という意識が広がっていけば」と期待を寄せている。