大津波で被災した高田小校舎まもなく解体へ 13日に「お別れ見学会」 陸前高田
令和元年8月11日付 1面

東日本大震災の発生から、きょうで8年5カ月となる。陸前高田市では、大津波で被災した高田小学校の校舎解体工事が、盆明けから始まる。市教育委員会はこれに先立って13日(火)、高田町字下和野にある校舎の「お別れ見学会」を開催。明治時代に現在地で開校して以来、多数の子どもたちを送り出してきた学びやに、感謝と別れを告げる機会が設けられる。同校の跡地はT・P(東京湾平均海面)17㍍までかさ上げされ、市役所新庁舎が建設される。
発災から8年5カ月
同校は明治6年、旧高田村字洞の沢に高田学校として開校。下和野の現在地には同25年、全郡町村組合立高田高等小学校として設置された。昭和30年の市制施行により、市立高田小学校となり、55年に第2校舎が、62年に第1校舎が竣工し、現在に至る。
平成23年の大震災津波では、体育館のほか校舎1階部分に浸水。校舎を清掃・修理し、子どもたちは同じ場所で学校生活を送ってきたことから、学校と保護者は児童のケアにも注力してきた。
同校は復興土地区画整理事業区域内にあり、同事業の道路建設予定地の支障物件だったため、国の移転補償を受け、現位置からおよそ500㍍北側、海岸部からは直線距離で約1・5㌔離れた高台部に移転。このほど市保健福祉総合センター向かいに新校舎が完成して引っ越しが行われた。子どもたちは2学期から新しい校舎に通うことになる。
同校跡地は市役所新庁舎の建設地として、グラウンド側から盛り土による造成工事を実施。庁舎は復興・創生期間内の令和2年度末までに完成させる計画となっている。学校の移転が完了したことから、旧校舎の解体は近く開始される。
これを受け、市教委は今回の見学会を企画。卒業生ら多くの市民からも、かねて「校舎との別れを惜しみたい」といった要望があったといい、盆の休工日に合わせて一日限りの校舎開放を決めた。
同校卒業生の一人であり、平成5年度には同校の校長も務めた元教員の熊谷睦男さん(85)=高田町=は、「父も娘婿も高田小の校長で、〝3代〟携わらせてもらったことになる」と笑い、「(太平洋戦争の)終戦を迎えたのは私が小学5年生の時だった」と、あまたの思い出を振り返る。
終戦後の昭和22年、新しい学校教育法の施行により「高田町立高田中学校」が新設されたが、中学校舎ができるまでの3年間は高田小の講堂(現在の体育館)を仕切って、中学生たちが学んだ。熊谷さんもちょうどその時の高田中生だったという。
「校舎や校章もなければ、中学の校歌というものもまだなくて、私たちは小学校の校歌を3年間ずっと歌っていた。中学の同級生たちと集まった時も、歌うのは高田小の校歌」と、ほかの世代よりも長かった〝母校〟での日々を懐かしむ。
画家としても知られる熊谷さんは、自身が通っていたころの木造校舎の絵など、同校に対しこれまでも数々の絵画を寄贈。「校歌は『雲をしのげる ひかみねを 北窓近く あおぎみて 南の庭に 松原を 見おろす高田の わが校舎』という詞」と語る熊谷さんは新たに氷上山の絵も贈ったといい、「解体は寂しくもあるが、新校舎も氷上山のふもとにあることは変わらない」として、引き続き母校にエールを送る。
お別れ見学会は13日の午前10時から午後4時まで開催され、自由見学とする。上履きは各自持参を。また、解体前のため校舎の水道やトイレは使用できない。駐車場も狭いことから、車を止める場合は注意すること。
同市教委は「子どもたちが大切に使ってきた学校なので、見学の際には校舎を汚したりすることがないよう配慮をお願いしたい」と呼びかける。
見学会に関する問い合わせは市教委(℡54・2111)へ。