栗木鉄山の写真募集 操業時や祭事の様子解明へ 住田町教育委員会

▲ 住田町上有住の旧家から見つかった全景写真。こうした操業時の様子が分かる写真の提供を呼びかけている

 住田町教育委員会は、国指定文化財申請を目指している栗木鉄山跡の操業当時の様子が分かる写真提供を呼びかけている。操業時の細かい製造体制や、労働者らの生活文化の詳細把握につなげたい考え。広く協力を呼びかけている。
 栗木鉄山跡は主に世田米の国道397号栗木トンネルの種山側に位置し、付近には大股川が流れる。明治13年に操業が始まった製鉄所で、一時は国内4位(民間3位)の銑鉄生産量を誇った。
 種山周辺で採れた鉄鉱石を生かし、豊かな森林資源を生かした木炭をエネルギー源として操業を続けた。さらに、地元の住民も経営や製鉄運営に多くかかわった。従業員の住居や郵便局、子どもたちの分校跡も見られ、当時は「鉄の村」が形成されていた。
 高炉は当初から作業効率を考え、高低差のある地形を利用。桟橋を用いて燃料・原料を投入する方式が採用されたほか、鋳物工場も併設して諸製品の鋳造も行い、こうした輸送には鉄索などを架設するといった工夫が凝らされた。
 大正3年に第1次世界大戦が勃発すると、水沢製錬分工場も含め銑鉄生産は年間2900㌧に達し、好景気に沸いた。しかし大戦後は不況に陥り、同9年に廃業した。
 現在も炉底や基壇、熱風炉などは良好な保全状態にある。一方で高炉はただちに解体され、設備品はほとんど残っていない。
 栗木では製鉄原料に金が含まれ、操業中、改修工事を行った際に炉中で堆積していた砂金が見つかり、従業員のボーナス資金になったとの言い伝えがある。廃業後も金を探そうと、設備の取り壊しが早急に行われたと推察される。
 このため、町教委では操業時の写真を生かし、高炉の細かい機能や製鉄の流れなどを把握したい考え。地域資源としての利活用を図っていこうと、ジオラマやパンフレット制作も検討している。
 町教委は「当時の様子が分かる写真を寄贈していただける方を探している。写真をお持ちの方や、もしかしたら栗木鉄山かもしれないと心当たりがある方は連絡をいただきたい。寄贈できない場合は、データ化した後で写真を返却する」としている。
 問い合わせは町教委生涯学習係(℡46・3863)へ。