「鉄道」の歴史、終幕へ JR東が事業廃止届け出 大船渡線・気仙沼─盛間
令和元年11月14日付 1面
【一部既報】JR東日本は、東日本大震災後にBRT(バス高速輸送システム)の運行を始めた大船渡線と気仙沼線の各区間について、鉄道事業廃止の届け出を12日付で国土交通相に提出した。大船渡線は気仙沼―盛間が対象で、所要の手続きを経て1年後に「廃線」となる見通し。昭和10年の全線開通から85年で、鉄道としての歴史に幕を下ろそうとしている。JRではBRTはサービス水準を変えることなく運行するとしている。
震災でBRT移行
大船渡線は一関市と大船渡市を結ぶ105・7㌔のローカル線。大正9年に着工し、同14年に一ノ関―摺沢間が開業。その後、気仙沼までは昭和4年、終点の盛までは同10年に開通した。
全線開通から76年目の平成23年、東日本大震災津波で気仙沼─盛間(43・7㌔)が大きな被害を受け、バス振替運行を経て25年3月に仮復旧として、鉄路跡を舗装した専用道と一般道を組み合わせながらBRTが運行を開始した。
同27年7月、JRは本復旧の手段としてもBRT化を提案。鉄路復旧の場合、ルートの高台移設などに伴い沿線市が担う「かかり増し」が270億円という膨大な試算が示されたことも背景に、沿線市はこの年の12月にBRTでの本復旧を受け入れた。
それからおよそ3年で出された鉄道事業廃止届け出は、BRTの「鉄道の代替」という立ち位置が変わることを表す。現段階でどのような影響があるかは不透明だが、JRでは「BRTの運行は道路運送法に基づくもので、鉄道事業の廃止による運行・サービス水準の変更はない」と明言する。
戸田公明大船渡市長はコメントを発表。「BRTの本復旧方針を受け入れる際に、JRに対する要望書を提出したが、これに対する回答としてBRTの持続的な運行確保を確約していただいたほか、サービス水準の維持とさらなる利便性の向上などについても前向きな回答をいただいた」としたうえ、「これまで、その回答に沿った各種取り組みをしていただいていることから、鉄道事業の廃止の届け出については妥当と考える」との見解を示した。
陸前高田市の佐藤由也市民協働部長は「JRの判断としてなされたものであり、やむを得ないことと認識している」と、とらえたうえで、「今後もBRTの運行を継続していただけると伺っており、地域の基幹交通として、また、さらなる利便性確保のため、しっかりと役割を果たしてほしい」と注文する。
一般社団法人「三陸沿岸の鉄路復興を求める会」代表理事で医師の大津定子さん(81)=大船渡市盛町=は、「残念であり、悲しい。いまのBRTは路線バスのようなもので、全国とつながる鉄道の代わりにはなり得ない」と表情を曇らせる。
同会は、大船渡線と気仙沼線の鉄路再開を求める沿線の有志らが、平成29年6月に設立。「全国と鉄道でつながることこそが、復興まちづくりの中心になる」との観点から、署名活動や講演会などを展開してきた。
大津さんは「経済性のみで被災路線を切り捨てていいのか。観光や産業の振興、人の輪のつながりを薄れさせるやり方が前例になってはいけない」と強調。
署名は、気仙地区内外の人々から今年8月までに2万7932筆が集まったという。「提出先も模索しながら、あきらめないで鉄路復興を訴え続ける。国交相や知事の考えも聞きたい」と、粘り強く活動を続ける決意も新たにしている。