視点/応急仮設住宅中上団地の跡地利活用 住田町㊤

▲ 旧下有住小学校グラウンドに整備された中上団地

「レガシー」何を残すか
後方支援の〝ぬくもり〟どう継承

 

 東日本大震災直後、住田町が独自に整備した下有住の木造仮設住宅・中上団地。今は空室が大半を占め、町は被災者の入居利用期限を原則来年3月末までとしている中、跡地利活用の検討を始めた。もともとは旧下有住小学校グラウンドであり、震災前と同様に地域住民に根ざした活用が望まれるが、町は考慮すべき点として「後方支援のレガシー(遺産)」の要素も掲げる。被災地を支えた「となり町」の足跡を、後世の防災につなげるためにどう伝え残すか。利活用の検討は、発災以降の〝住田らしさ〟を見つめ直す契機ともいえる。今後考えるべき視点を整理したい。(佐藤 壮)

 

被災者入居は来年3月まで

 

 住田町は、甚大な被害を受けた気仙両市に隣接する自治体として積極的に後方支援活動を展開。町独自整備の木造仮設住宅は、全国的にも注目を集めた。
 発災3日後には建設を決断し、町営住宅や旧幼稚園の各跡地、旧小学校の校庭を利用して3団地に計93戸を整備。火石(世田米、13戸)は平成23年の4月25日、本町(同、17戸)は5月6日、中上(下有住、63戸)は同23日に完成した。
 中上では、日常的に寝泊まりする被災者利用が数世帯にまで減少。町は今年春、供用期限を原則来年3月までとする方針を示した。
 下有住小は震災前の平成20年に閉校。その後も、地区の運動会や式年大祭など多彩な住民活動に生かされ、地区公民館では次代につながるまちづくりを見据え、芝生化の〝投資〟も進めていた。
 同地区の地域協働組織・下有住いきいき協議会は今月7日に役員会を開催し、団地跡の利活用を協議。仮設住宅からプールまでをすべて解体し、震災前に住民が植えた芝生の原状復帰や、グラウンド内にトイレを設置するよう町に要望することを決めた。
 一方、町は8日の地域デザイン会議で、中上団地の跡地利活用策を、来年度中に決定する方針を説明。要望をふまえ、来年度に庁内検討や地域住民との対話を経て、活用策を固める。

 

見つめ直すべき団地の足跡

 

 利活用で考慮すべき点として、町は▽地区公民館に隣接する地域の拠点▽震災後方支援の「レガシー」としての要素▽築60年以上が経過した旧校舎などを含めた一体整備──を挙げる。会議出席者からは「県外では、住田は木造仮設住宅をいち早く建築した町として知られる。少しでも残し、活用するのは賛成」といった意見が寄せられた。
 今後はまず、発災からの日々を見つめ直し、未来に向けて「レガシー」として何を伝え残すべきかを整理する必要がある。住田町は、震災前から検討していた設計や地元産業の技術を生かして木造仮設団地を整備し、町外から支援で訪れる人々とも力を合わせながら、被災者と心温まる交流をはぐくんできた。
 町は今年6~8月、三陸防災復興プロジェクト2019に合わせ、23年から保管していた部材を生かし、役場内で木造仮設住宅を展示した。戸建ての仮設住宅そのものを「レガシー」とするならば、同様の展示を引き続き企画するといったアイデアも考えられる。
 団地としてのぬくもりに加え、見ず知らずの地に各地から被災者が集まり、団地の周囲に暮らす地域住民とも親しくなりながらコミュニティーを形成した日々を、どう伝えるべきか。町外から訪れた支援者の力も借りながら、住環境や交流スペースの充実を図ってきた。木製のベンチやチェーンソーアートには、こうした団地としての〝息づかい〟が残されている。
 災害に遭えば必ず、被災地に隣接した地域が生まれる。団地周辺に暮らす住民にも、被災者とともに復興への道のりを歩んできた後方支援の地としての知恵や誇りがある。
 住宅再建の進展に伴い、被災自治体でも団地が少なくなり、今も残る団地でも多くが解体を控える。一方、団地内の円滑なコミュニティー形成は、大規模災害では欠かせない要素であり、〝目に見える〟団地が少なくなるほど、教訓を伝える視点の重要性が増す。
 木造仮設団地は、プレハブで建設された長屋形式ではないだけに、1棟ごとに処分や利活用のあり方を考えられる利点もある。今はさまざまな視点を織り交ぜながら、丁寧に将来像を固めるチャンスとも言える。