ここを新たな〝実家〟に 妻の生家が津波で被災 千葉県の細田さん夫妻 陸前高田(別写真あり)
令和2年1月7日付 7面

千葉県富津市の細田聡さん(61)、律子さん(59)夫妻が陸前高田市の空き住居を購入し、この夏、同市に移住することを決めた。同市高田町出身の律子さんは、東日本大震災の大津波により同町の生家が全壊。しかし、陸前高田の「空き家バンク」サイトで実家によく似た家を見つけ、「新しい〝実家〟として、みんなが集まれる場所をつくろう」と住宅を購入し、Uターンを決めた。新潟県出身の聡さんも「畑で野菜や果物を育てたい」と語り、第二の人生の舞台として選んだ陸前高田での夢を2人一緒に膨らませている。
空き家購入しUターンへ
律子さんの生家は高田町長砂。父親が7人きょうだいの長男だったこともあり、実家は盆や正月には必ず親戚が一堂に会する場所だったという。一族が勢ぞろいし、たわいないおしゃべりや昔話に花が咲く、にぎやかな時間。高校卒業後に地元を離れた律子さんは、そんなひとときを何よりも楽しみにしており、「みんなで集まるときのことを心の支えに働いていた」という。
しかし、大震災によって両親をはじめ、多くの身内が犠牲になった。築100年になろうかという気仙大工の匠の手による建物は、家のあるじと一緒に失われてしまった。
3人きょうだいの律子さんだが、兄も妹も関東在住。震災後は帰省時に皆でコテージを借りたり、親戚の家に集まらせてもらったりしてきたが、律子さんは「自分が陸前高田に戻り、みんなが集える〝実家〟を新しくつくれれば」という思いを温めてきた。
聡さんも、「妻と結婚してから陸前高田に来るようになったが、海も山も川もあり、本当にいいところだなと思っていた」といい、Uターンに賛成。物件を探していく中で、同市の移住定住促進事業を担うNPO法人高田暮舎(岡本翔馬代表理事)による空き家バンクのサイト「高田暮らし」にたどり着いたという。
そこで見つけた広田町の家屋は、やはり気仙大工が建てた伝統的な建物。高い天井、いろりの煙にいぶされた黒い梁(はり)、「せがい造り」の屋根──見れば見るほど「実家にそっくり」と驚いた律子さん。夫妻は昨年10月に内見を行い、2人そろって「絶対にここ」と即決した。
家屋だけでなく、ロケーションも夫妻にとってこれ以上ないものだった。入り口ではサクラの大樹が出迎え、玄関前には見事な樹勢のツバキが「シンボルツリー」としてどっしり構える。家の向かいには青く広がる広田湾。朝日が差す日当たりのいい土地で、「朝、障子を開けるのが楽しみで」と律子さんはほほ笑む。
8LDKという、2人暮らしには広すぎるほどの間取りだが、一番の狙いは「複数の親戚家族が集まれること」。細田さん夫妻の一人娘も、小さい時から陸前高田が大好き。娘やきょうだい、親戚たちも、今から「夏に集まるのが楽しみだね」と心待ちにしているという。
広さと環境のよさを生かし、律子さんは「この家でランチだけのお店でもやれたら」と夢を語る。「妻は料理が好きで、いつもおいしいものを作ってくれる。自分だけが食べるのはもったいない」という聡さんも、敷地内の畑で野菜を作ったり、ユズやサクランボ、モモなど果樹の苗木を植えたいと計画を練っている。
律子さんは、「実家は古いし、寒いし、子どものころは新しい家に憧れたこともあったけれど、今にして思えば広い縁側があって、みんなが集まれるなんて本当にぜいたくなことだったんだなと思う」と懐かしみながら、新しい〝居場所〟づくりの構想をあれこれと楽しく考えているところだ。