憩いと防災兼備の場に 避難場所として再整備へ 中心市街地高台の本丸公園 市民の意見も反映させ(別写真あり)

▲ 本丸公園の避難場所としての再整備へ現地を歩いて意見を出し合う市民ら

 きょうで東日本大震災から8年11カ月となる。各地で復興事業が詰めの段階に入り、防災インフラの復旧を受けた津波避難のあり方が見直されている中で、陸前高田市は高田町の中心市街地の高台に位置する本丸公園を避難場所として再整備する計画を進めている。市民らの意見も集めながら、令和2年度内の工事完了を見込んでおり、古くから街を見守り市民の憩いの場として親しまれてきた高台が、防災という役割も持って生まれ変わろうとしている。

 

東日本大震災から8年11カ月

 

 本丸公園は、戦国時代に旗頭として気仙を統治していた浜田(千葉)広綱の居城だったとされる高田城跡にある。中心市街地に位置し、高いところで海抜約50㍍の段丘となっており、東日本大震災時には多くの市民が避難して命をつないだ。かさ上げ整備も踏まえながら市が震災後にまとめた中心市街地津波避難マップでも、避難場所の一つに位置付けられている。
 一方、広場に上がる道などは誰もが利用しやすい状況に整えられておらず、市は昨年11月、復興事業の最終盤にあたって避難路や管理用道、展望広場、駐車場などの改築と整備、周辺樹木の間伐などを行うこととし、設計業務の公募型プロポーザルを実施。同12月、応募3社の中からSTEP(福岡県福岡市)を最優秀提案者に選定していた。
 プロポーザルをもとにした現段階の案では、「いつもの本丸 もしもの本丸」を合言葉に、基本方針として▽防災文化発信の基点としての避難場所・避難路機能の強化▽まちのにぎわいづくりの基点としての展望広場・サクラの名所化▽市民まちづくりの基点としての協働の取り組み・場の形成──を掲げる。
 現状を生かしながら「アバッセたかた」や「まちなか広場」などから連なる避難路を整え、3カ所ある広場のうち1カ所には男女別と多目的のトイレを設置し、避難用備蓄倉庫、かまどとしても機能するベンチも設ける方針。
 中心市街地や広田湾を望む場所には、あずまやを置いて東日本大震災を後世に伝える防災解説サインを掲示。NPO法人・桜ライン311が東日本大震災津波到達地点に植えたものを含め、サクラの景観を楽しめる環境も築き、展望やサクラの名所としてにぎわいを呼び込む役割も持たせたい考えだ。
 こうした案に市民の声を反映させていこうと、8日は一般向け、9日には小学生~高校生向けの意見交換会・現地見学会が開かれ、一般は市民ら11人、児童生徒は9人が参加。それぞれ、公園に近い高田商工会館で市建設部都市計画課やSTEP、市教委の担当者から整備のコンセプトや高田城の歴史について聞いたあとで現地を歩き、避難場所や憩いの場としてのあり方を語り合った。
 このうち、一般向け参加者の中には「東日本大震災の時はここに逃げた」という人もおり、広い年代の避難をスムーズにするためにスロープや手すりの整備を求めていた。「以前は花見をした」「運動会もやったものだ」と震災前の光景を懐かしむ人もあり、「散策路があるといい」との声も聞かれた。
 現段階で工事費は約1億2000万円を見込み、復興交付金を活用する考え。完了は令和2年度内の見通し。 
 市建設部の堺伸也部長は「設計に皆さんの意見やアイデアを取り入れながら、よりよい公園にしていきたい」と話している。