東日本大震災発生から9年 世界の視線 再び被災地へ 五輪イヤー〝伝える〟好機に

▲ 気仙地区の聖火リレーのコースに含まれる陸前高田市の奇跡の一本松。ランナーに選ばれた(左から)佐々木豊秋さん、大和田海雅君、金野拓翔君、清水祐真君、熊谷侑希さん

 東日本大震災の発生から11日で丸9年を迎えた。発災10年目に入る今年は、東京オリンピック・パラリンピックの開催が予定されており、世界の視線が再び被災地に集まることになる。本県で6月に開催される聖火リレーのランナーに選ばれた気仙の住民たちは、発災から時間が経過した今だからこそ〝伝えたい〟さまざまな思いを胸に、このまちを駆け抜けようとしている。

 

 聖火リレーは今月26日(木)~7月24日(金)に全国で実施。気仙には6月18日(木)に聖火が運ばれ、陸前高田市は奇跡の一本松から高田町の市街地まで、大船渡市は大船渡町の夢海公園からサン・アンドレス公園までをルートにリレーが行われる。
 現在、ランナーとして公表されているのは、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会岩手県実行委選出枠として大船渡市の熊谷侑希さん(35)=NPO法人さんりくWELLNESS理事長、陸前高田市の清水祐真君(高田第一中2年)、住田町の大和田海雅君(世田米中2年)、佐々木豊秋さん(70)=同町体育協会事務局長、企業公募ランナー枠で陸前高田市の金野拓翔君(米崎小6年)。また、元バレーボール日本代表で平成4年のバルセロナ五輪に出場した栗生澤淳一さん(55)=大船渡市出身、広島市在住=も選出された。
 現時点では、熊谷さんと金野君は大船渡を、清水君、大和田君、佐々木さんは陸前高田を走る予定になっている。
 子どものころからスポーツが好きで、何かの形でオリンピックに携われるならと応募した熊谷さん。走る姿を一番見せたいと願うのは、自分を育ててくれた〝おばあちゃん〟たちだ。
 実の祖母はもちろん、地元・末崎町の人みんなが熊谷さんを孫のようにかわいがってくれた。震災により、生まれ育った細浦地域の人たちがバラバラになってしまった今、「自分が走ることで、またみんなが集まるきっかけになるかもしれない」と熊谷さん。健康運動指導士として高齢者らの健康づくりにかかわってきたことに触れ、「お年寄りたちの元気なところを、ぜひ世界中の人に見てほしい」と語る。

 金野君、大和田君、清水君の3人は、学校グラウンドに仮設住宅が建設されるなど、物心ついた時から十分に運動ができない環境に身を置いてきた。
 野球スポ少・米崎リトルで活躍する金野君は、さまざまな支えを受けて運動できる喜びを胸に、「これまで支援してくれた人たちにお礼の気持ちを伝えたい」とランナーへの応募を決めたという。
 大船渡市末崎町で育った大和田君は、被災当時まだ5歳だったが、さまざまな人々が自分たちのためにしてくれたことを覚えている。小学校で使ったランドセルも、支援で寄せられたもの。地域住民らは自身の土地を提供し、仮設グラウンドをつくってくれた。
 昨年、自身も所属する世田米中・有住中合同の軟式野球チームが県中学校総合体育大会で優勝。チームのキャプテンを引き継いだ大和田君は、2連覇を目指しチームメートとともに頑張っている。
 「いろんな人たちとのつながりも、野球をやってきたからこそ」──競技を続けられたことに対する感謝、そして「おかげさまで、こうして元気にやれています」と発信する好機を、このリレーに見いだした大和田君だ。
 水泳やボッチャに取り組む清水君は、知的障害がある人の社会参加を目指すスポーツプログラム「スペシャルオリンピックス」に参加するなど、幼い時から運動を通じて楽しみを見つけてきた。
 「小学校時代の知り合いや、放課後デイでお世話になっている人に見てもらいたい。陸前高田のまちもできてきたから、そういうところを伝えたい」と清水君。市街地のあたりを走れたらと期待を膨らませる。
 清水君にリレーへの参加を勧めた母・桂子さん(39)は「障害があっても、得意なことを生かして人生を有意義に過ごしてほしい」と願い、同市が進める「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」を世界に発信するうえでも、「障害を隠さず、オープンにしていくことが大切では」という。

 住田町〝代表〟として選ばれた佐々木さんは、大津波で沿岸部が甚大な被害を受けた中、ボランティアの活動拠点にもなった同町の後方支援なくしては、気仙両市の早期復旧はありえなかったこと、町と町民の果たした役割について伝えるという大役を背負って走る。
 発災直後、町の運動公園が米軍の拠点候補に挙げられた時、教育委員会とともに「運動場は子どもたちのために残してやりたい」と訴え、震災によって運動環境を失った両市の児童・生徒らを積極的に受け入れた。
 佐々木さんは、「不便な思いをたくさんしただろうが、『スポーツができる』という喜びや、感謝の気持ちをよく知っている子たち」といい、当時の子どもたちが立派に成長し、ともに聖火ランナーとなったことを喜ぶ。
 一方、東京大会において政府が掲げた〝復興五輪〟といううたい文句と、いまだ復興を阻む多くの課題を抱えた被災地の現状とのかい離に、冷めた視線を持つ住民は決して少なくない。
 しかし、「世界中から支えられ、ここまで来ることができた」という感謝の念とともに、「まだこれだけの課題がある」と伝えられる好機がめぐってきたことも間違いない。これを機に、被災地としてどんな発信ができるのか。世界中で大規模災害が起きている今、東京大会は防災の心構えと教訓の伝承を担う〝地域の責務〟も見つめ直す機会となるだろう。