きょう震災9年3カ月 経験伝承に〝大船渡らしさ〟を 防災学習「回遊」見据え

▲ 住宅の高台移転や被災跡地の活用、既存公共交通機関の復旧など、震災発生以降のさまざまな歩みを伝承する仕組みづくりが重要に=赤崎町内

 きょうで東日本大震災発生から9年3カ月を迎える。各地区の実情に合わせた復興事業が終盤に入る中、大船渡市内では官民会議が中心となって震災の記憶と経験を語り継ぎ、広く防災を学べる場として「防災学習ネットワーク構想」の検討が進んでいる。単一の大きな「コア施設」で研修活動を完結させるのではなく、市内各地区の津波学習や伝承、総合的な防災に関する施設や活動を連動させた「回遊」を見据えるもの。各地区の特色や既存施設の有効活用に加え、深みのある学びをできる体制整備や人的配置につながるか、今後の具体化の行方が注目される。

 

地区の特色生かし多面的に
ネットワーク構想検討進む

 

 昨年11月に設置された(仮称)防災学習センター等整備検討官民会議は、同センターの整備に向けた基本計画などを協議。合わせて、津波伝承や防災学習のあり方についても検討を行ってきた。
 これまでの討議で浮かび上がってきた一つが、防災学習ネットワーク構想。大船渡市は、陸前高田市の高田松原に整備された津波伝承館のような大規模な施設はない中、市内各地区の津波学習や伝承、総合的な防災にかかる施設や活動を連動させ、回遊を促すことにしている。
 先月28日の市議会全員協議会で示された段階での構想では、大船渡町に構える市防災観光交流センター(おおふなぽーと)を玄関口として総合案内機能を持たせる方向性が描かれている。施設ごとに役割を分担させながら、津波被害や避難生活の状況をはじめ、さまざまな災害の危険性や災害時の備えなど、多面的な学びを市全体で形成することで回遊や市内での長期滞在などにつなげる。
 三陸町では、過去の津波被災を教訓とした高台移転で東日本大震災からの自宅浸水を免れた地域があるほか、越喜来には津波に耐えた「ど根性ポプラ」もある。末崎町では、大規模なトマト工場整備をはじめ被災跡地の活用が進むほか、JR大船渡線BRTや三陸鉄道の発着点となっている盛駅を起点とした学びもできる。
 大津波による浸水被害を受けなかった猪川町や立根町、日頃市町にも学校グラウンドなどに仮設住宅が建設されたほか、住宅再建を果たした被災者を温かく迎え入れたコミュニティー力も光った。震災直後は炊き出し拠点としても機能した。
 赤崎町では、中赤崎復興委員会で取り組んできた小中学生を中心とした防災学習により、避難行動や避難生活から得た教訓を学ぶことができるほか、震災直後から住民の避難所として利用された漁村センターもある。
 このほか市内には、基幹産業の水産業の被害状況が把握できる市魚市場展示室(大船渡町)や、津波資料が保管されている博物館(末崎町)もある。各施設への案内・回遊を促して津波に関する学習機能の多様化を図るほか、陸前高田、遠野、釜石各市との連携も見据える。
 今月も官民会議のメンバー5、6人で構成する作業部会などで検討する方針。官民会議も、今月の開催に向けて調整が進む。まとめられた構想は、市長に提言する流れとなっている。
 各地を巡る防災学習を促す取り組みは、他の被災地でも実践例がある。平成16年に発生した新潟県中越地震の被災地・長岡市と小千谷市では「中越メモリアル回廊」として、両市内に整備されたメモリアル拠点を巡るコースなどを発信。各地の震災の記憶や復興の軌跡を紹介し、苦難を乗り越えた姿を発信しながら住民交流を促している。
 震災発生時から復興事業完了までの流れを学ぶだけでなく「地域ぐるみの高台移転はどう実現させたのか」「新たなコミュニティー形成をどう進めたか」「防潮堤、防波堤整備の考えは」「新しい商店街ができるまでの苦労は」など、訪れた人々は、個別に深みのある研修を求めるケースも考えられる。
 構想に基づく防災学習は、単一の施設を訪れただけでは希望する学びを得られないことも考えられ、目的に合わせた調整や案内機能が重要となる。おおふなぽーとなどから、視察現場や関係者をスムーズにつなげるための人的体制や仕組み構築のあり方などが、今後のポイントとなりそうだ。
 各地を巡る移動手段確保も課題として考えられるが、対応策が整えば観光分野への寄与も期待できる。復旧・復興事業で生まれた施設や、震災前から受け継がれてきた知恵を上手く組み合わせた防災学習の流れが生まれるか、取り組みが注目される。