木造仮設住宅から全入居者の退去完了 後方支援の大きな節目に きょう震災9年4ヶ月

▲ 全入居者の退去が完了した下有住の中上仮設住宅団地

 東日本大震災の発生から、きょうで9年4カ月。住田町が独自に整備した木造仮設住宅では今月、すべての被災者が新たな住まいに移り、入居者がゼロとなった。甚大な被害を受けた気仙両市の「となり町」として温かく受け入れ続け、各団地では多くの交流が生まれ、町民と被災者が心を通わせながらともに歩みを重ねた。関係者はこれまでのつながりを大切にする決意を新たにするとともに、後方支援の地としての伝承や、跡地の有効活用を見据える。

 

気仙の被災者寄り添い続け

 

 町は発災3日後に独自の木造仮設住宅の建設を決断し、町営住宅や旧幼稚園の各跡地、旧小学校の校庭を利用して3団地に計93戸を整備。火石(世田米、13戸)は平成23年4月25日、本町(同、17戸)は5月6日、中上(下有住、63戸)は同23日に完成した。
 これまで、約280人が入居。火石は、国道整備に伴い28年秋で入居が終了し、希望者に払い下げが行われた。本町は建設当時のまま残り続け、中上では13戸が再利用などのため撤去された。
 町では利用期限を今年3月までとしていたが、陸前高田市内の土地区画整理事業の進ちょくや住宅再建の状況などをふまえ、被災者の事情をくみながら柔軟に対応。町によると、本町では5月末までに被災者全員が退去した。
 中上では、1世帯のみの入居が続いていたが、同市気仙町で建築が進められていた住宅が引き渡しを迎え、今月6日に引っ越し作業を終えた。整備直後から9年以上住み続けた70代女性は「最後まで気持ちよく過ごすことができ、感謝でいっぱい」と話した。
 下有住地区公民館の金野純一館長(76)は、今月もかつての入居者と懇親機会を持つなど、交流を続ける。被災者の全退去に「いつかこうなる日が来ると思い続けてきたが、さみしさはある。楽しく一緒に過ごしたことを、たまに思い出してもらえれば」と語る。
 同館は整備直後から、被災者の相談対応や施設開放などの支援事業に注力。団地自治会組織の設立・運営にも主体的にかかわり、地域コミュニティー形成に貢献した。
 また、震災を機に発足した一般社団法人・邑サポート(奈良朋彦代表)は、古里を離れて暮らす被災者や地域住民、支援団体をつなぐ活動を展開。今年3月まで町内仮設住宅団地向けの広報紙「ひなも新聞」の発行を続けた。
 今後は、仮設住宅団地の跡地利活用の検討が進む。金野館長は「仮設住宅があった思い出を残すべきとか、さまざまな意見がある。みんなで意見を出し合い、まとめていくことが大事」と、将来を見据える。
 町は本年度、仮設住宅の「クロージングセレモニー」を計画。解体を前にこれまでの入居者や支援者を招き、感謝を伝えるだけでなく、今後の交流拡大につなげる場とする方針で、新型コロナウイルスの影響を注視しながら開催時期を固める。
 神田謙一町長は「被災した時の心の傷が完全に癒やされたわけではないと思うが、仮設での暮らしやそこでの人と人とのつながりを糧にしていただき、次のステップやそれぞれの活躍につなげてほしい。住田を第二の故郷として、また足を運んでもらえればありがたい」としている。
 気仙の仮設住宅整備数は、大船渡市が39団地1811戸、陸前高田市が53団地2168戸、住田町が3団地93戸。大船渡市では令和元年度内に全入居者の退去を終え、すべての団地で仮設住宅の解体を完了した。
 陸前高田市市内の仮設住宅入居者数は6月末現在、31世帯79人。入居団地は29世帯で、すべて竹駒町の滝の里仮設住宅団地となっている。別団地の2世帯は恒久住宅への転居を済ませたが、荷物の移動などが控えている状態という。仮設住宅の入居期限は、本年度末までとなっている。